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卑弥呼(弥生)から天武天皇(飛鳥)までを5分で学ぶ<前編>

卑弥呼と邪馬台国

日本史の原点「卑弥呼(弥生)」から「天武天皇(飛鳥)」までを5分で学ぶ<前編>
画像:左・新人物文庫 右・山川出版社

西暦元年あたりの日本列島は100くらいの国(地域)にわかれていたようで、もっとも栄えていたとされる国が「吉野ヶ里(佐賀県の吉野ヶ里丘陵)」だったそうです。

これら国について後漢書(古代中国の歴史書) には「小国が乱立していた」と記されており、その小国の一つが「邪馬台国」と考えられます。

また、魏志倭人伝には西暦147年頃に邪馬台国で内乱が起きたことが記されており、「卑弥呼」という女性が邪馬台国を治めていたとの記述があるんですね。

魏伝によると、邪馬台国は30の小国を支配下に置き、卑弥呼が1000人の侍女(雑用や身の回りを世話する女性)を従え、実の弟が卑弥呼の代わりにお告げを伝えたり政治の指揮を行っていたようです。

謎多き卑弥呼の正体ですが、さらに謎なのは「どこに邪馬台国が存在していたのか」も解明されていません。これまでの研究では、近畿もしくは九州という説が有力のようです。

参考記事:弥生時代は"諸説あり"だらけ?謎多き卑弥呼や邪馬台国のポイントをおさらい

<ステップ2> ヤマト王権の成立

西暦248年に卑弥呼が没して台与が邪馬台国の新しい女王となり、台与が晋に使いを送ったあたり(西暦266年頃)に弥生時代が終わると、そこからヤマト王権の時代(古墳時代)に入ります。

中国の文献は「晋に使いを送った」という記録が邪馬台国に関する最後の記述となり、それ以降の動向を知ることができません。(この頃の中国は南北朝時代で世相が慌ただしかったと考えられる)

紀元前800年頃・・・水稲耕作や金属器が倭国に伝わり、弥生文化が始まる
紀元前660年・・・神武天皇の即位(皇紀元年)
西暦元年・・・倭国では100の小国が乱立していた
西暦107年・・・倭国が後漢に使節を派遣
西暦147年・・・倭国(邪馬台国)で内乱が起こる
西暦189年・・・卑弥呼が邪馬台国の女王になる
西暦239年・・・卑弥呼が魏に使者を送る
西暦248年・・・卑弥呼が没し、台与が新しい女王になる
西暦266年・・・台与が晋に使いを送る(古墳時代の始まり)

古墳時代に入ると、乱立していた国(九州・中国・四国・中国・近畿・中部・関東・山形県の南部と福島県)をヤマト王権が統一し、倭国と称しました(推定・西暦400年頃)。

ヤマト王権の正体は?


画像:蘇我氏とは何か(別冊宝島)

さて、古墳時代に突如として登場するヤマト王権(ヤマト政権)ですが、このヤマト王権も卑弥呼や邪馬台国に並ぶ古代ミステリーとなっています。

いつ、どのような経緯で成立し、どのような過程で倭を統一したのか、ほとんどが謎のままです。

一説では、各地に乱立していた小国が争う中で有力な豪族(氏族)が目立ち始め、それらに力の差や上位関係が生まれ、その過程でヤマト王権が誕生したのではないかという見解が出されています。

ただし、王権といっても王が従える国家ではありません。

一応、ヤマト王権に首長(治天下大王)はいましたが、大王が統治または支配するわけではなく、有力な氏族が一つの組織になった連合政権(連合国)と考えられています。

※ヤマト王権とは有力な氏族らが組織化した連合政権。ヤマト王権における大王はトップではなく組織の責任者という立場。(=ピラミッド型の権力組織ではない)

そして、ヤマト王権の中で特に有力だった豪族が蘇我氏の蘇我稲目です。のちに、蘇我氏と対立する物部氏(物部尾輿)も有力な豪族で、蘇我氏と物部氏はヤマト王権の二大勢力でした。

なぜ蘇我氏と物部氏が対立したのか、これが古代史における第一の分岐点となります。

続きはこちら
日本史の原点「卑弥呼」から「天武天皇」までを5分で学ぶ(後編)

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