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名湯から秘湯まで12人の戦国武将を魅了した温泉地

浅井長政と滋賀・須賀谷温泉

名湯から秘湯まで11人の戦国武将を魅了した温泉地
画像:浅井長政の肖像(高野山持明院)

小谷山(滋賀県長浜市)の麓に湧き出る須賀谷温泉は、浅井長政の居城があった小谷城の近く。

長政が治癒に通ったと伝えられており、長政といえば信長と同盟を結び、信長の妹・お市の夫としても知られています。もしかしたら、お市も須賀谷温泉で入浴したかもしれませんね。

やがて信長と対立した長政は戦いに敗れて自害しますが、長政の三姉妹(茶々・初・江)は生き残り、豊臣秀吉の側室(茶々は豊臣秀頼の生母)になったり初や江は有力な武将に嫁ぐなど、戦国時代を代表する女性となりました。

小谷城跡には小谷城戦国歴史資料館があり、毎年、「小谷城ふるさと祭り」が開催され、武将隊や武者行列が歩く姿を観覧できます。この時期は、いつもに増して須賀谷温泉に足を運ぶ人も多いようです。

真田幸村と長野・別所温泉

名湯から秘湯まで11人の戦国武将を魅了した温泉地
画像:真田信繫の銅像(三光神社)

長野県上田市の別所温泉は、ヤマトタケル(西暦71年~130年の古代の皇族)が見つけたという伝説が残されている信州最古の温泉です。平安時代には源義仲(源頼朝・源義経の従兄弟)が入浴したとも言われています。

戦国時代の上田市は真田家の領地であり、天正11年(1583年)に築かれた上田城の城下は大いに栄え、現在は多くの寺社仏閣が点在していることから別所温泉がある塩田エリアは"信州の鎌倉"と呼ばれています。

真田幸村も父の昌幸と共に別所温泉を愛したと伝えられており、池波正太郎・著の真田太平記にも幸村の"公式"隠し湯として別所温泉への愛着が描かれていますね。

なかでも真田の隠し湯として有名なのが別所温泉の「石湯」「鹿沢」。自然豊かな山々に囲まれ、澄んだ空気と水のせせらぎが神秘的な岩湯や鹿沢で幸村や真田の家臣たちが傷や疲労を癒したという記録が残っています。

また、別所温泉と並び、真田町の「角間温泉」も真田一族の隠し湯として有名です。長野県と群馬県の境にある角間渓谷の近くで、紅葉の名所でもあり、この地で猿飛佐助など真田十勇士が修行したという伝説が残されています。

武田勝頼と群馬・伊香保温泉

名湯から秘湯まで11人の戦国武将を魅了した温泉地
画像:松本楓湖・画「武田勝頼」(恵林寺)

日本有数の名湯である群馬県渋川市の伊香保温泉は、万葉集の中にも登場するほど古来からの秘湯です。そして、伊香保は武田勝頼(信玄の息子)と深い関係がある温泉地でもあります。

信玄が亡きあと、武田家(20代目当主)を継いだ勝頼は信長と対立し、織田の明智城(岐阜県可児市)や徳川の高天神城(静岡県掛川市)を落としましたが、長篠の戦いで1万人の負傷者を出して敗北します。

負傷兵を療養させるために利用したのが伊香保温泉でした。伊香保の周辺は真田家の所領であり、武田の家臣だった真田昌幸に湯治場を造るよう命じ、このときに伊香保温泉の原型が生まれたそうです。

今も伊香保神社にある「石段」は、このときに築かれたものと伝えられており、石段の両側には温泉宿や飲食店などが立ち並び、国内でも有数の温泉地となっていますね。つまり、勝頼は伊香保温泉の祖というわけです。

江戸時代には榛名神社や水沢寺を訪れた旅人が伊香保で癒され、明治維新後は夏目漱石や竹久夢二、野口雨情や徳富蘆花など文化人が伊香保温泉に足を運んだといいます。

武田信玄と山梨・積翠寺温泉

名湯から秘湯まで11人の戦国武将を魅了した温泉地
画像:武田信玄の銅像(甲府駅)

数多くの秘湯をもつ戦国武将といえば武田信玄。一説によると30ヵ所を越える秘湯の持ち主で、嘘か真か定かではありませんが、信玄の隠し湯と呼ばれる温泉が山梨や長野を中心に数多く点在しています。

その中でも信玄の隠し湯として代表的な温泉が、躑躅ヶ崎館(武田家の屋敷)の近くにある積翠寺温泉や下部温泉。信玄誕生の地を示す石碑や信玄を祀る武田神社があり、宝物殿には武田家の甲冑や古文書などが展示されています。

<山梨県>
●信玄が生まれた甲府市上積翠寺町の「積翠寺温泉」
●信玄の父・信虎の代から愛用されていた「下部温泉」(南巨摩郡)
●上田原の戦いのあと、30日間ほど滞在して湯治した「湯村温泉」(甲府市)
●山県昌景が管理を任され、現在も昌景の子孫が営む「川浦温泉」(山梨市)
●信玄お抱えの職人が金鉱を掘削しているときに発見した「増富温泉」(北杜市)
ほか、岩下温泉(山梨市)や西山温泉(南巨摩郡)など。

<長野県>
●信玄お抱えの職人が金鉱を掘削しているときに発見した「毒沢鉱泉」(諏訪郡)
●川中島の合戦の帰りに兵が湯治として入浴した「大塩温泉」(上田市)
●川中島の合戦の帰りに兵が湯治として入浴した「松代温泉」(長野市)
●信玄かま風呂が保存されている「渋温泉」(下高井郡と芽野市)
●鉱山職人や兵の疲労回復に利用された「白骨温泉」(松本市)
●信玄が三河に侵攻する際に湯治ばとして利用した「小川の湯」(上水内郡)
ほか、仙仁温泉(須坂市)や奥蓼科温泉郷(芽野市)、唐沢温泉(下高井郡)や小谷温泉(北安曇郡)など。

<その他の地域>
●北条氏との戦いの際、湯治に利用した「中川温泉」(神奈川県足柄上郡)
●家康に勝利した際に整備した「梅ヶ島温泉郷」(静岡市葵区)
●飛騨に侵攻したときに発見した「平湯温泉」(岐阜県高山市)
など。

前田利家と群馬・草津温泉

名湯から秘湯まで11人の戦国武将を魅了した温泉地
画像:北方心泉・画「前田利家」(金沢ふるさと偉人館)

日本三名湯の一つ、草津温泉。草津の湯は硫黄の匂いが強く、明治時代にはドイツ人の医師によって効能が認められ、当時の草津温泉の周辺には多くの療養施設が設けられました。

泉質は疲労回復や怪我の治癒、皮膚病や美容にまで効果があるとされ、古くから"万病の薬"と称されるほどの名湯。当然ながら多くの戦国武将が湯治に訪れています。

秀吉が家康に「草津の湯はいいぞ」と宛てて記した書状が残っていたり、大谷吉継や丹羽長秀が天目山の戦いで疲労した体を癒すために堀秀政や多賀新左衛門らと草津を訪れたという伝えもある温泉地です。

また、秀吉の妹の朝日姫も療養で草津温泉を利用し、豊臣秀次(秀吉の甥っ子)は九州征伐(1587年)の翌年に訪れたと言われています。なかでも、とくに草津を愛した武将が前田利家でした。

1551年から織田家に小姓として仕え、信長のもとでは「槍の又左」の異名で恐れられ、秀吉が天下をとると秀吉の相談役として豊臣政権を支えました。家康も利家の言うことは聞いていたそうですし、人望が厚かったことがわかります。

そんな利家も晩年には病を患い、癒しを求めたのが草津温泉です。

他界する一年前(1598年)に一族を集めて草津を訪れ、盛大に楽しんだと伝えられています。奥さんの「まつ」と微笑みながら、草津の景観を眺めていた利家の姿が思い浮かびますね。

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