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明治維新の武闘派集団「奇兵隊」は「長州」でなければ結成されていなかった?

西郷が慶喜に仕掛けた罠

画像:©getty徳川慶喜

1867年11月9日、15代将軍の徳川慶喜は政権を天皇に返上(大政奉還)したが、政治の実権を失ったとはいえ実際のところ徳川家の権力は絶大だった。

薩摩藩や長州藩、土佐藩などが集結し、明治天皇が「王政復古の大号令」を発し、新政府の成立を宣言した。この宣言により幕府は廃止され、慶喜は領地を没収され、将軍職も解任となる。

慶喜は新政府での役職を確保しようと大阪で上洛の(京都に行く)準備をしていたが、徳川家の壊滅を望んでいた討幕派の西郷隆盛は、主君を失った武士(浪士)を使って江戸で大暴れする。

強盗や放火など挑発行為を次々と行い、ついに1867年12月には庄内藩の屯所へ銃弾を打ち込む。この挑発にのった旧幕府側は薩摩藩邸を襲撃。

これにより、旧幕府側から宣戦布告したという既成事実をつくった。これを企てたのは西郷で、まんまと幕府は”罠”にはまったのである。

この襲撃が発端となり、1867年1月27日、薩摩藩と長州藩、土佐藩が連結する新政府軍と徳川15代将軍の徳川慶喜を総大将とする旧幕府軍との争い「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」が勃発する。

鳥羽・伏見の戦い

1月3日、鳥羽街道と伏見街道を占領した新政府軍と旧幕府軍・淀藩が鳥羽小枝橋で鉢合わせ。「京都に行くから道を開けなさい」と命じる旧幕府軍に対し、新政府軍は「通さない」と拒否。

しばらく激しい口論が起こる。押し問答が続くが、強行突破で先に進もうとした旧幕府軍に対し、新政府軍の鉄砲隊が発射。不意を突かれた旧幕府軍は大きなダメージを受け、やむを得ず下鳥羽へと後退する。

この銃声が合図となり、伏見奉行所を包囲していた薩摩軍が一斉射撃を開始。京都の治安を守備してきた会津藩や新撰組が御香宮の周辺で薩摩軍と交戦した。

鉄砲や大砲を使う薩摩軍が有利な戦況で、この状況を変えるために旧幕府軍の永倉新八が率いる新撰組・二番隊が御香宮に置く薩摩陣営に斬り込んだ。

戦いの激しさを物語る史跡として、伏見の料亭「魚三楼」には鳥羽・伏見の戦いで被弾した弾痕が残されている。写真撮影は自由だが、劣化を防ぐために手で触れてはいけないので要注意。

鳥羽伏見の戦いが始まった時点で天皇は公式に新政府軍に加勢していた状態ではなく、徳川家と薩長、土佐の内乱であるから関わらずにいようと家臣たちの意見が強かったようだ。

しかし、新政府軍側が優勢になると天皇の態度は急変し、新政府軍へ錦旗を授けた。、錦旗を掲げたことにより、新政府軍は「天皇が認めた軍(官軍)」となり、旧幕府軍は「天皇に逆らう賊(逆賊)」であることが明確になる。


画像:戊辰所用錦旗及軍旗真図 浮田可成(公文附属の図・294号-国立公文書館)

錦旗を見た旧幕府軍は戦意を失ってしまい、淀城にて体勢を整えようと一次撤退した。

淀堤千両松で衝突すると、刀で斬り込む新撰組隊士らへ向けて薩摩軍が銃弾を浴びせる。このとき、井上源三郎や山崎烝など、複数に及ぶ新撰組の隊士が戦死している。

また、新政府軍が淀城に向かうのを足止めするために旧幕府軍は町に火を放ち、多くの民家が焼かれ、西岸寺の周辺も戦地となって町民が巻き込まれている。

旧幕府軍は淀城に出向きヘルプを求めたが、淀藩の藩主・稲葉正邦が入城を拒否し、さらに銃を向けられ撤退。つまり、仲間から見限られたのである。

淀藩は天皇と敵対することを恐れ、旧幕府軍を城内に入れなかったのだろう。1月6日、旧幕府軍は大阪城まで撤退したが、慶喜は戦うことを決定する。

だが、その夜、慶喜は大阪城を脱出し、残された武士たちは混乱してしまう。慶喜は江戸城へ戻り、身を隠した。このときをもって、伏見・鳥羽の戦いは終結。

鳥羽・伏見での戦闘において奇兵隊は力を発揮し、のちに勃発する五稜郭の戦いでも活躍している。

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