童子切安綱(どうじぎりやすつな)
画像:童子切安綱(東京国立博物館)
伯耆国安綱が作ったとされ、東京国立博物館(国宝)所蔵の天下五剣の一つですが、源頼光が丹波国の大江山に住み着いた鬼(童子)の首を斬り落としたという伝説をもつ日本刀です。
また、江戸時代には幕府の処刑執行人である町田長太夫が6人の罪人の死体を積み重ねて童子切で試し斬りしたところ、6つの死体を切断したあと土台まで切り抜いたいう逸話が残っています。
大包平(おおかねひら)
画像:大包平(東京国立博物館)
刀鍛冶・包平が平安時代の後期に作ったとされ、「現存する日本刀の中で最高傑作」と称えられている名刀。池田輝政の愛刀として知られ、輝政が「一国に替え難し」と言葉を遺したほどです。
代々、池田家の家宝となり、厳重に保管されましたが、昭和42年に文部省が6,500万円(現在の価値で3億円前後)で譲り受け、現在は国宝として東京国立博物館に所蔵されています。
小龍景光(こりゅうかげみつ)
画像:小龍景光(日本刀大百科事典)
楠木正成の愛刀で、刀鍛冶は備前国の長船住景光。鎺元(はばきもと。柄と刃の境目)に「龍が剣に巻き付く姿」が彫刻されていることから小竜景光と名づけられ、国宝に指定されています。
「賢才武略の勇士 敵も味方も惜しまぬ人ぞ なかりける」と称えれた忠義の武将、楠木正成と戦乱を共にした日本刀ですし、刀剣ファンとしては知っておきたい名刀です。
阿蘇の蛍丸(あそのほたるまる)
画像:蛍丸の復元(阿蘇神社展)
来国俊作の日本刀で阿蘇惟澄(戦国時代の肥後国の氏族)の愛刀。以降、阿蘇氏の子孫が家宝として所蔵していましたが、太平洋戦争の直後に行方が分からなくなり紛失。
由来は、この刀を惟澄が多々良浜の戦い(1336年)で使用し、後日、無数の蛍が刀に群がり刃こぼれが直ったという夢を見て、目が覚めると本当に刃こぼれが直っていたという伝説から名づけられたそうです。
一期一振(いちごひとふり)
画像:一期一振(日本刀大百科事典)
刀鍛冶は鎌倉時代に名工と称えられた粟田口吉光。主に短刀を作っていた吉光が唯一作ったとされる太刀であることから「生涯で一度だけ作った太刀」に由来し、一期一振と名付けられました。
驚くことに、日本国憲法の皇室経済法第7条の記述に「皇位と共に継承すべき由緒あるもの」の一つとして一期一振も含まれており、国宝や重要文化財を超えた領域の名刀と言えるでしょう。
今回は名刀10選を紹介しましたが、国宝だけでも110点を超えるわけで、重要文化財や個人所蔵の名刀など合わせると数え切れないほどの名刀が現存しています。
そして、その一つ一つに刀鍛冶の想いや技術が込められており、ルーツも様々です。戦国時代や幕末など、歴史上の人物が所持していた愛刀の由来を調べてみるのも面白いかもしれませんね。