古代史に登場する有名な子孫たち
画像:中臣鎌足(菊池容斎・画)
藤原氏が特にイケイケだった時代が古代の日本。いわゆる奈良時代から平安時代まで強大な権力を支配し、一族を大きく反映させました。
日本の古代史(今回は鎌倉時代も含む)に登場する、特に有名な藤原氏の子孫たちを確認してみましょう。
<飛鳥時代>
●中臣鎌足
藤原氏の始祖。大化の改新のきっかけをつくり、天智天皇の即位に貢献した
<奈良時代>
●藤原不比等
大宝律令の主体者。藤原氏、繁栄の基盤となる「外戚システム」を構築した
●藤原房前
不比等の息子(藤原四兄弟)の一人。五摂家の祖となる藤原氏北家の始祖。
●藤原宮子
不比等の長女で文武天皇の夫人
●光明子(光明皇后)
不比等の次女で聖武天皇の正妃
●藤原仲麻呂(恵美押勝)
藤原南家の祖である武智麻呂(藤原四兄弟)の次男。道鏡と対立して孝謙天皇に誅殺された
●藤原広嗣
藤原式家の祖である藤原宇合(藤原四兄弟)の長男。橘諸兄に謀反を起こして処刑された
●藤原種継
長岡京遷都の主導者で藤原宇合の孫。遷都の翌年に何者かに暗殺される
<平安時代>
●藤原緒嗣
桓武天皇に蝦夷の平定と平安京の建設の中止を進言し、情勢の混乱を緩和した
●藤原冬嗣
初代の蔵人(天皇の専属秘書)となる。勧学院を建立し、文学の発展に尽力した
●藤原良房
廷臣で初の摂政となり、摂関政治の基盤を築いた
●藤原基経
廷臣で初の関白となり、強大な権力で政権を掌握した
●藤原時平
藤原基経の息子。日本三代実録や延喜式の編纂者
●藤原道長
自称、すべてを手に入れた男。道長の時代が藤原氏の全盛期である
●藤原頼通
道長の長男。関白として50年も朝政を指揮した。平等院鳳凰堂の建立でも有名
●藤原隆家
気性が荒く、やんちゃな貴族。海賊(刀伊の入寇)を倒し、武功を挙げた
<鎌倉時代>
●藤原俊成
冷泉家の祖で、千載和歌集の編纂者として知られる
●藤原定家
藤原俊成の息子で、新古今和歌集や新勅撰和歌集の編纂者として知られる
●九条頼経
歴代4人目となる征夷大将軍に就任。鎌倉将軍とも呼ばれる
幕末を生きた藤原氏の子孫たち
画像:五摂家の家紋
強大な権力で栄華を極めた藤原氏でしたが、平安時代の後期に藤原氏の外戚ではない白河上皇の院政が始まると、次第に政治の中枢から遠ざけられます。
そして、鎌倉時代に武家政権(源氏)が成立すると、藤原氏の勢力は衰え、政権から後退しました。
※天皇が皇位を譲ると上皇となる。上皇が天皇の代わりに行う政治を院政という
しかし、政治の中枢から離れたとはいえ藤原氏の子孫は途絶えることはなく鎌倉時代も戦国時代も脈々と受け継がれ、その結果、幕末に存在していた公家136家のうち96家が藤原氏の血族でした。
●五摂家(公家の頂点)
近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家
●清華家(9家のうち6家が藤原氏の血族)
三条家・西園寺家・徳大寺家・今出川家・花山院家・大炊御門家
●大臣家(3家のうち2家が藤原氏)
正親町三条家・三条西家
●羽林家(66家のうち55家が藤原氏)
姉小路家・阿野家・武者小路家・橋本家・飛鳥井家・清水谷家など
●名家(28家のうち25家が藤原氏)
日野家・鳥丸家・柳原家・外山家・北小路家・竹屋家・芝山家など
●半家(26家のうち2家が藤原氏)
高倉家・富小路家
ちなみに半家とは公家の中で最も下位の家格(格式)であり、上位の家格はほとんど藤原氏の出身となっています。
これだけの血族が幕末まで繁栄したのですから規模の大きい氏族であったことがわかりますよね。
藤原氏の子孫は今も続いているのか?
画像:伊勢神宮
ここで気になるのは「現代にも藤原氏の子孫は存在しているのか」ということ。
ずばり、存在しています。ただし、子孫が多すぎるので今回は著名な子孫だけ紹介しますが、隅々まで調べると藤原氏の末裔は数え切れないほどいるそうです。
<近衛家>
五摂家の一つで、藤原氏北家の藤原忠通を祖とする近衛家。鎌倉時代から薩摩の島津家と交流が深い公家で知られ、日本史を代表する貴族です。
昭和以降で有名な子孫は、
・第34代、第38代、第39代の内閣総理大臣に就任した近衛文麿
・第79代の内閣総理大臣に就任した細川護煕(近衛文麿の孫)
現在の子孫は細川護煕の弟である近衛忠輝さん。アジア人で初の国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)の会長に就任し、息子(長男)も宮内庁の宮中歌会始の講師(こうじ)を務める超エリートなんです。
※講師(こうじ)とは、宮中の歌会や漢詩の会などで詩歌を詠み上げる人
<鷹司家>
五摂家の一つで近衛家を祖とする家系ですが、鷹司家の開祖は近衛家実(藤原忠通のひ孫)と藤原忠行の娘の間に生まれた四男の近衛兼平です。
現在の子孫は、伊勢神宮の大宮司である鷹司尚武さん。前職は、日本電気通信システム(NEC通信)の取締役社長。
養母(鷹司和子)は昭和天皇の三女なので、継宮様(令和になる前の天皇。現在の天皇の父)は義理の叔父ということになりますね。
<九条家>
藤原忠通の息子(6男)の藤原兼実を祖とする九条家。兼実が京都の九条に屋敷を構えていたことが氏の由来となっているそうです。
昭和以前の先祖として大正天皇の正妃である貞明皇后(九条節子)や、その姉の大谷籌子は京都女子大学設立の推進者となった人物。
現在の子孫は、平安神宮の宮司を務める九條道弘さん。藤裔会(藤原鎌足を祖とする一族の会)の会長でもあり、藤原氏の歴史を今に語り継ぐ伝道師とも言えます。
<冷泉家>
藤原俊成を祖とする冷泉家。鎌倉時代の初期の歌人で、千載和歌集の編纂者として知られる人物。
俊成の名は平家物語にも登場し、平清盛の息子である忠度が源平合戦で敗れた際に詠んだ歌を「詠み人知らず」で千載和歌集に載せたという逸話があります。
現在の子孫は、公益財団法人・冷泉家時雨亭文庫の理事長を務める冷泉為人さんです。
やっぱりスゴイぞ藤原氏!
中臣鎌足が天智天皇より賜った藤原の姓ですが、藤原という姓を名乗っていたのは平安時代までで、鎌倉時代には五摂家となり、近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家に枝分かれします。
その後も幕末までに子孫が枝分かれしていき、数え切れない姓が生まれており、全国に散らばった藤原氏の子孫たちは定住した地の名称をそれぞれ起用したと言われています。
なんせ、わかっている子孫だけでも多すぎて家系図が大変なことになっていますから・・・。藤原一族の家系図を見ると、日本最大の氏族と言われる理由が一目で分かりますね(笑)
興味のある方は、ぜひ調べてみてください。
ただし、藤原という姓は平安時代以降には使われておらず、現在、藤原の苗字をもつ人が必ずしも藤原氏の子孫であるとは限りません。
むしろ、現代の藤原という苗字は藤原氏とは関係ないと主張する専門家のほうが多いみたいですね。
※姓と苗字は別物。藤原氏における藤原の姓は天皇から賜った称号のようなもの。よって、家名や苗字ではない。
また、藤原氏の先祖は中臣氏ですが、中臣氏の先祖は日本神話に登場する天児屋命(あめのこやねのみこと)ですから、天児屋命を祀る春日大社が藤原氏の氏寺となっています。
教科書でサラッと教わった程度の藤原氏も、よく調べてみると日本の歴史に多大な影響を与えた"とんでもない一族"であることが分かりますね。