武力で国の領地を奪取
画像:長篠合戦図屏風(徳川美術館)
戦国時代とは、天下統一を目指して領地を奪い合う“国盗り合戦”が全国各地で繰り広げられた時代である。そして、国盗り合戦の元祖も北条早雲と言えるだろう。
まず、最初に早雲が国盗り合戦の標的にした領地が伊豆。
当時、伊豆の領主は足利政知だったが、政知が死去すると長男の足利茶々丸が半ば強引に家督を継ぎ、家督争いの影響で著しく内政が乱れてしまう。
早雲は伊豆を奪取する好機と考え、わずか200人の兵を従えて伊豆の堀越公方に攻め入り、茶々丸を追いやる。足利家が去ると早雲は韮山に城を建て、1491年に伊豆の新領主となる。
勢いに乗った早雲は同じ年に相模へも侵攻し、小田原城を奪取する。さらに1516年には三崎城を攻め、三浦氏を滅亡させると相模の新領主となった。
早雲の領地拡大が発端となり全国各地で国盗り合戦が始まると、本格的に戦国時代の幕開けとなるのだ。無名に等しい武将たちが名乗りを上げ、次々に下剋上を開始する。
1500年代に入ると松永久秀や武田信玄、織田信長が天下統一を目指して合戦を繰り広げた。
戦国時代の終焉は関ケ原?
画像:徳川家康之画(徳川美術館)
戦国時代の始まりは「北条早雲が伊豆に攻め入った1491年」で、同じく戦国武将の開祖も北条早雲と言える。では、戦国時代の終焉は“いつ”だろうか。
豊臣秀吉が天下統一を果たし一時的に国盗り合戦が終わったが、あくまでも休止した状態。その証拠に、秀吉が死去したあと直ぐに徳川家康が天下取りに動き出す。
よって、家康が関ケ原で豊臣軍に勝利した1600年9月15日が戦国時代の終焉と考えられる。およそ109年続いた戦国時代が終わり、徳川幕府の時代へと移り変わっていくのだ。
これは余談だが、徳川幕府は267年続いたが戦国時代は109年間。250年以上も国を支配できる権力、いかに徳川家の統治力が強かったかが推測できる。
戦国という乱世を勝ち抜き国盗り合戦の頂点に立ったからこそ、長年にわたり国を支配できる絶大な権力を持つことができたのだろう。
徳川幕府が消滅したのは現在から150年前の出来事だが、もし徳川の時代が今も続いていたら現代の日本とは大きく違っていたのではないだろうか。
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