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【東京遷都の理由】なぜ「東京」が「日本の都」になった?(後編)

   京都市民への配慮


画像:明治13年-明治天皇御之肖像(高橋由一作・御物)

大久保利通の「大阪遷都」案や会津藩の「両都制」など遷都に関する問題が山積みだった明治元年。

「江戸無血開城」を経て、前島密の「江戸遷都」案が現実味を帯びてくると、やがて明治天皇の行幸が本格化し、明治天皇は京都御所から東京城へ住居を移し、太政官も京都から東京に移動。

都を東京に移すという発表は一度もありませんでしたが、公に発表せずとも、もはや「東京が都」と言っているのと同じこと。一方、「おい!話が違うじゃないか」と不満なのは京都市民。

そのため、明治政府は、「天皇の行幸は頻繁に行われるし、京都に対する天皇の想いは強く、1000年の都は人々の心から消えないから安心してほしい」といった内容の言葉を京都市民に発信しています。

天皇は京都から離れないというメッセージを伝えながらも、1871年までに京都の行政機関を全て東京に移し、東京城=皇居を中心に日本の主要な行政機関が集約しました。

そういえば、警視庁も皇居のそばにありますね。それはさておき、今回は「なぜ東京が都になったのか」をテーマに東京遷都についてチェックしましたが、大まかな流れはご理解いただけたと思います。

前編で、「日本には首都がない」「日本の首都は法律で定められていない」と言いましたが、こうした京都への配慮も首都を明確に定めていない要因の一つではないでしょうか。

  東京遷都 まとめ


画像:平城宮跡の高御座(Tamago Moffle)

東京への遷都は公式に宣言することなく東京市民や京都市民に気を遣いながら”ゆっくり”と進められており、いかに市民の反応が国家に影響を及ぼすかがわかります。

東京が日本の中心になるまでには、いろんな問題や苦労があったわけですね。

ポイント1 日本の都は奈良→京都→東京の順で移っている
ポイント2 東京が都になったのは明治元年の出来事
ポイント3 東京遷都のほかにも大阪遷都や両都制の案もあった
ポイント4 東京に都を移す前提で明治天皇は京都と東京を行ったり来たりした
ポイント5 1868年9月3日に江戸から東京に改名された
ポイント6 江戸城を東京城に改名し、敷地内に皇居を造設した
ポイント7 1869年11月27日に明治天皇が東京城に引っ越したて皇居になった
ポイント8 東京は、「東の京(みやこ)」という意味
ポイント9 東京都は、「東の京都(みやこ)」という意味
ポイント10 東京遷都の実現には前島密と江戸無血開城が影響を及ぼしている
ポイント11 日本の首都は法律で定められていない

あくまでも、東京は事実上の首都。「日本の首都は何処?」と聞かれれば、「ありません」が正解ということになります。もしくは、「現在の日本で政府機関と皇居が集約しているのは東京です」が正解。

なぜなら、天皇が座る椅子「玉座(高御座)」は今も京都御所に置かれており、そうした曖昧な点も多いことから「どちらが都」と聞かれても断言できないわけです。

よって、現時点で言えることは、「東京に”都”が移された日は事実上では1869年11月27日。しかし、日本の首都は法律で決められていない」となるでしょう。

日本の歴史で東京遷都は避けては通れない出来事。時代が大きく変わった明治元年、東京遷都も日本経済や国民の意識に影響を与えた重要な出来事です。

この機会に、ぜひ覚えておくとよいかもしれませんね。

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