2位 明治維新
画像:晩年の徳川慶喜の写真(文春文庫)
265年続いた江戸幕府が終焉を迎えた明治維新。幕末の終末期(1867年)から明治11年(1878年)までに起きた明治政府(新政府)による大改革の総称です。
江戸幕府の成立が「戦国の世」を終わらせ出来事なら、明治維新は鎌倉時代から幕末まで700年余り続いた「武家政権」を終わらせた歴史的な革命と言えるでしょう。
そして、江戸幕府の終焉を決定づけたのが大政奉還でした。
15代目の将軍・徳川慶喜が朝廷に政権を返上(大政奉還)しましたが、その後も徳川の権威が衰えていないことに不満を抱いた岩倉具視など倒幕派が王政復古の大号令を発し、徳川の壊滅を宣言。
天皇を軸とする新しい政治を打ち立てた新政府軍(薩摩・長州・土佐など倒幕派を中心とした連合軍。のちの明治政府)が発足し、本格的に明治維新が始まることになります。
一方、旧幕府は徳川を擁護する佐幕派が中心となり旧幕府軍が結成され、新政府軍と旧幕府軍が1年半にわたって激戦(1868年1月~1869年6月の戊辰戦争)を繰り広げました。
多くの犠牲を伴った戊辰戦争でしたが、明治政府の勝利で幕を閉じ、御所が京から江戸に移され、江戸を東京に改名し、ここから近代的な日本国家への第一歩を踏み出すのです。
廃藩置県が行われ、旧幕府の制度を一掃し、お金の単位が「円」になったのも明治時代初期のこと。
なお、明治10年に起きた日本最後の内戦となる西南戦争(1877年。西郷隆盛と明治政府の戦い)も明治維新の出来事です。翌年には大久保利通が暗殺され、明治維新が終わりを迎えました。
明治時代は45年まで続き、その間には様々な変化がもたらされます。戸籍制度が開始され、苗字が義務付けられ、刀の所持が禁止されるなど、今では当たり前のことが定められたのが明治時代です。
また、積極的に西洋のライフスタイルや文化が取り入れられ、食文化も変わり、建物も西洋の建造物を模して建築されるようになり、様々な面で国民の生活習慣が大きく変わっていきました。
明治時代は、現代人の生活の基礎が築かれた時代と言っても大げさではありません。
1位 太平洋戦争
画像:真珠湾攻撃で炎上するアメリカ戦艦(アメリカ国立公文書館・広島平和記念資料館)
1941年12月8日、日本軍がハワイオアフ島のアメリカ海軍基地(真珠湾。パールハーバー)を奇襲したことで開戦した太平洋戦争(大東亜戦争)。
同日に日本軍はイギリス領土のマレー半島に上陸し、この出来事が事実上の宣戦布告となりました。
開戦当初は香港、マレーシア、フィリピン、グアム島、ウェーク島などで軍事行動を展開し、怒涛の勢いで侵攻すると、アメリカ・イギリスに多大な損害を与えました。
その後も、1942年2月にはイギリスのシンガポールを占領してイギリス軍 14万人の兵を捕虜にし、3月にはオランダ領の東インド諸島を制圧すると、ビルマに侵攻してラングーンも支配。
5月にパプアニューギニアを占領し、東南アジアに広大な領土を築き上げました。これをアメリカが黙って見過ごすはずもなく、6月のミッドウェー海戦で日本海軍は大ダメージを受けます。
さらに、8月のガダルカナル島の戦いでも日本軍は大敗。日本は「大東亜会議(大東亜共栄圏)」や「あ号作戦」などで戦況の立て直しをはかるも、マリアナ沖やサイパンで甚大な被害を受け壊滅状態。
1944年11月に始まったレイテ沖の海戦で日本軍は残っていた空母4隻、戦艦、巡洋艦など多くを失い、戦闘可能な戦艦や空軍が消滅するわけです。
追い込まれた日本は捨て身の作戦として「神風特攻隊」を編成し、1945年2月からアメリカ戦艦への体当たり攻撃を開始しましたが、米軍が沖縄に上陸すると民間人を含め多くの犠牲者を出しました。
そして、太平洋戦争は世界でも例をみない最悪な結末を迎えるのです。
1945年7月にトルーマン、チャーチル、蒋介石の連名でポツダム会談が開かれ、これら連合国に日本軍は武装解除と無条件降伏(ポツダム宣言)を求めら、頑なに拒否。
その結果、8月6日の午前8時15分に世界初の実戦使用となる核爆弾「リトルボーイ」が広島市に投下され、広島市の人口35万人のうち9万人が即死。
画像:原爆投下後の原爆ドーム周辺(広島平和記念資料館)
その後、16万6千人が被爆から2~ 4か月以内に死亡しており、ほか被爆者も含めると計56万人が原爆によって亡くなりました。
さらに8月9日の午前11時2日には核爆弾「ファットマン(正式名称はマークⅢ)」が長崎市に投下され、長崎市の人口24万人のうち7万4000人が即死。
12月末までに長崎で発生した死亡者は12万人。3~5年後までの死亡者数は20万人に及び、建物は約36%が全焼または半壊しました。
追い打ちをかけるようにソ連が日本への侵攻に動き出すと、もはや打つ手が無くなった日本はポツダム宣言を受け入れ、9月2日に降伏文書に調印し、3年9ヵ月続いた太平洋戦争は終結しました。
戦後の日本
画像:1959年5月27日の読売新聞
戦争を経験したことがない現代人にとって、太平洋戦争は想像もつかないほど過酷なものだったでしょう。
敗戦国となった日本は文字通り"ゼロからやり直し"の状態となり、太平洋戦争が日本の行く末を左右する重要な転換期になったことは言うまでもありません。
貧困と不安定な経済のなか、日本は産業や政策などに注力して戦後の復興期を乗り越え、高度経済成長期を迎え、戦前と戦後の日本の変容は「まるで別の国になった」と言われています。
なかでも戦後の日本を象徴する歴史的な出来事が東京オリンピックの誘致。敗戦から20年後のことであり、当時は「敗戦国がオリンピックを開催するのは不可能」とバカにされていたんです。
しかし、日系人の実業家である和田勇さん他、たくさんの日本人が諦めず懸命に働きかけた結果、不可能と思われた夢が実現し、1964年に第一回目の東京オリンピックが開催されました。
それから4年後、日本は国民総生産で世界第2位と評価されるまでに成長し、わずか24年足らずで復興と発展を遂げ、驚異的なスピードで経済大国の仲間入りを果たしたのです。
そして、2020年は二回目となる東京オリンピックが開催されますよね。先人たちが築いた日本という国を感じながら、あらためて日本史を振り返ってみるのも悪くないかもしれませんね。