蘇我氏・藤原氏・道教を起点にすれば古代史は10倍おもしろくなる!(前編)
画像:聖徳太子(菊池容斎・画)
日本史といえば戦国武将や幕末の志士が人気で、飛鳥時代や平安時代といった古代史は埋もれがち。
なぜ、古代史は人気がないのか。それは、興味がわかないからです。戦国時代や幕末のようなインパクトがなく、とっつきにくかったり退屈なイメージを持っている人も多いと思います。
しかし、少し視点を変えるだけで古代史のイメージが変わります。年号や出来事を軸にせず、「天皇の側近」に目を向けて起きた出来事を学ぶと古代史は面白くなるんです。
なぜ古代史は人気がない?!
画像:法隆寺
ずばり言います。古代史に興味がわかないのは学校の授業がつまらなかったからです。
年号や出来事をサラッと丸暗記するような感じで、テストが終われば記憶の片隅に埋もれてしまうのが古代史。
たとえば、「なんと(710))見事な平城京」とか「鳴くよ(794)ウグイス平安京」など、語呂合わせ程度に教わったような認識ではないでしょうか。
こんなんじゃ大したイメージもわかず退屈になるのは当然。
古代の日本は「どのような国だったのか」「どのように変わっていったのか」この2つを大まかに把握し、そのうえで「時代のキーパーソン=影響を与えた人物」を知ることで面白くなります。
どのような国だったのか
まず、「卑弥呼の時代」から「ヤマト王権」に移行した、これは必須。
弥生時代、「倭(わ)」と呼ばれていた日本。今のように沖縄から北海道までが日本列島ではありませんでした。
「国」と呼ばれる領土が日本のあちこちにあり、国ごとに豪族が治めていました。一説によると、100の小国が乱立していたとされています。
つまり、小国=その国を治めていた豪族というイメージ。そもそも日本人という人種がない時代です。
もっと言えば、どのように日本人が出来上がったのかは謎。ザックリ言うと縄文時代に大陸(中国や朝鮮半島)から入ってきた人種と混合されて完成したのが今の日本人とされています。
とはいえ、中国の文献には「倭人(日本人)」と記されており、誰のことを示しているかといえば「邪馬台国」の女王「卑弥呼」です。
卑弥呼は魏(三国時代の中国にあった国の一つ)に使いを送って交流を深めていたそうで、魏の視点では邪馬台国が倭という認識であったと考えられます。
<ヤマト王権の成立>
そんな「卑弥呼」も248年に没し、新しい女王の台与(壱与)が晋に使いを送った266年頃から古墳時代に入ります。
古墳時代になると有力な豪族たちが連合してヤマト王権(ヤマト政権)が誕生し、各地に乱立していた小国を統一し、日本列島の原型となる倭国が成立しました。
ただし、ヤマト王権は連合政権であって君主(中国のような皇帝)はいません。豪族たちが連合して政治を行う組織であったと考えられます。その組織が倭国を統一したという話。
また、統一といっても、この時点では福島あたりまでが倭国です。北方の蝦夷(現在の東北地方と北海道)は統治できていません。沖縄から北海道まで統一するのは江戸時代になってからです。
ちなみに、古墳時代と言われる理由は、権力者の象徴として古墳(墓)が盛んに造られた時代だからです。