出雲大社の歴史をたどる!「出雲大社」にまつわる「日本神話」とミステリー(後編)
画像:出雲大社拝殿
前編では古事記を参考に出雲大社の歴史についてお話しましたが、古事記に書かれている事柄は伝承的な"神話"がメインで人知を超えた領域の出来事ばかりです。
また、一説によると「古代の政権争いを神格化した書物」という意見もあり、その時々の権力者によって手が加えられた歴史書と主張する人もいますが、真意は定かではありません。
ミステリアスな日本神話に由縁する出雲大社ですから、むしろ謎が多くて当たり前なんですよね。今回は、神話を交えながら、出雲大社にまつわるミステリーをいくつか紹介したいと思います。
ミステリー1 出雲神話は難しい
画像:北田氏子奉納の天岩戸図(北田神社)
地方には土地に応じて神様との関係を示す神話が語り継がれています。たとえば、天孫降臨の地として有名な宮崎県や、神武天皇の神武東征にまつわる奈良県の神話など様々です。
神話なので諸説あったり違う見解が飛び交っていたりするわけですが、そのなかでも特に謎が多いとされるのが出雲神話。
ザックリ言うと、出雲国から始まる国造りに終着する話なので、国造り=日本という国ができた"ルーツ"と言っても大げさではなく、とにかく色々な議論が交わされている神話なんですね。
アマテラスやスサノオ、オオクニヌシやアメノホヒに始まり、卑弥呼やヤマト王権、蘇我氏と物部氏、天智天皇や天武天皇、さらには藤原不比等など、時代を支配した有力者たちの足跡でもあるわけです。
さらに仏教の伝来によって神様から鎮護思想に移り変わり、その過程では古代中国の文献も合わさったり、そうした時代を経て奈良時代に完成した書物が古事記や日本書紀です。
いつまでが神様の話で、どこから人間の話なのか、その境目すら明確でなく、たとえば、スサノオが退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は、実は中国から来ていた貿易船を比喩した表現ではないかという説もあるんです。
日本書紀には中国が日本に銅剣を舟で届け、対価として奴隷を連れて行ったことが記されており、その舟の頭が蛇に似ていたことや数隻で来航していたことなど八岐大蛇と重なる点が多いとか。
そして、最終的には銅剣を武器にして中国と争ったわけで、八岐大蛇の伝説も、スサノオが八岐大蛇の尾から出てきた剣で切り裂いたわけで、これらを示唆しているのではないかと説く研究家もいます。
ちなみに、古事記は伝承的な物語(ストーリー感覚)で記されていますが、日本書紀は史実に近い(わりと現実的な)書き方で編纂されており、同じ事柄を記した歴史書でも二つの世界観はだいぶ違います。
さらに、「ホツマツタヱ」(ほつまつたゑ)が関わってくると、もうチンプンカンプン。
ホツマツタヱとは、ヲシテ文字と呼ばれる古代の日本語(中国から漢字が伝わるまで使われていたとされる)で記された書物で、ヲシテ文献と呼ばれています。
偽書という見方が強いですが、一部の研究者は古事記や日本書紀の原書と主張しており、ホツマツタヱを改ざんして古事記が出来上がったという見解もあるんですね。
たとえば、ホツマツタヱにはスサノオが不倫したハヤココマスヒメの怨念が八岐大蛇になったと記されており、そうした記録は古事記や日本書紀にはありません。
神話は神話でも出雲=国造りが絡む出雲神話は、めちゃくちゃミステリアスで難しいんです。
ミステリー2 三種の神器がない
画像:三種の神器の見本
アマテラスやスサノオといった日本神話の主人公クラスが深く関わっている神社なのに、出雲大社には「三種の神器」が祀られていません。
●天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
別名、クサナギノツルギ。スサノオがヤマタノオロチを退治した剣
●八咫鏡(やたのかがみ)
アマテラスが天の岩屋に引きこもった際に石凝姥命(いしこりどめのみこと)が作った鏡
●八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
アマテラスが天の岩屋に引きこもった際に玉祖命(たまのおやのみこと)が作った赤色の玉
天叢雲剣は熱田神宮に祀られ、八咫鏡は伊勢神宮に、八尺瓊勾玉は皇居に保管されており、出雲大社には祀られていないのです。
なぜかというと、出雲大社は神社であっても神宮ではないからです。
三種の神器は天皇家に受け継がれてきた3つの秘宝で、日本書紀には三種宝物と記されています。
神宮は「天津神」または「天皇」を祀る神社であり、天津神とは高天原(神々が住む天界)にいたアマテラスなどの神様のこと。
アマテラス(天皇家の祖先神)を祀る伊勢神宮や熱田神宮のほかにも、ニニギノミコト(神武天皇のお爺さん)を祀る霧島神宮などが有名です。
一方、大社とは「国津神」を祀る神社。国津神とは、オオクニヌシやスサノオのように葦原中国(地上)にいた神様のことを言い、そうした理由から出雲大社には三種の神器が祀られていないそうです。