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大相撲は織田信長がルーツ?信長が初めて「相撲大会」を開いたって本当?

画像:日本相撲協会

1578年2月29日に織田信長は安土城に300人の力士を集め、その力士たちを競い合わせるという相撲大会を開いている。この出来事が現代における相撲大会(大相撲)のルーツとされている。

ちなみに相撲の原点は神話の世界までさかのぼる。古事記に記されている「建御雷神」と「建御名方神」という2柱(二人という意味)が相撲の原点だそうだ。

高天原(たかまがはら)に降り立った建御雷神(タケミカヅチノカミ)は、「この出雲の国(島根県)を俺に譲れ!」と建御雷神(タケミカヅチノカミ)を挑発する。

「よし、それなら勝負しよう!」と建御名方神が挑発し返し、勝負した。このとき、勝敗を決めるために戦った方法が「相撲」だとか。つまり、古来の神様が相撲で島根県を取り合ったのが原点になるのだ。

「日本書紀」によれば11代天皇の垂仁天皇が7月7日の夜に相撲を見物し、奈良時代には聖武天皇も七夕の夜に相撲を見物したという。

史実よると、相撲のような形式で二人の男が体をぶつけあい、命を懸けて勝負したことから”死合”と呼んでおり、現代の「試合」へと言葉を変えたと言われている。

室町時代になると神事やお祭りの余興として相撲が見世物になるが、武士たちの体力作りにも相撲が用いられたり、子供たちの遊びとしても全国に広がっていく。

そして、1578年2月29日に信長が大勢の力士を安土城に集めて競い合わせたことが相撲大会の原型とされ、現代の大相撲大会のルーツとなっているそうだ。

その後、相撲は競技になり、江戸時代には谷風梶之助や釈迦ヶ嶽雲右門、史上最強の力士として語り継がれている雷電為右衛門など、数多くの力士が歴史に名を残している。

画像:雷電為右衛門の画(勝川春亭)

信長が趣味で始めた相撲大会が大相撲のルーツ?

信長が力士を集めて相撲を見物したのは実は1578年以前にもあり、1570年3月3日に安土の常楽寺(滋賀県の琵琶湖付近)で相撲見学をしたという記録が残っている。(信長公記)

信長の相撲見学の話を聞きつけた近江(滋賀)の力士が「俺が一番だ!」と我先に集結し、最終的に勝ち残ったのは鯰絵又一郎(なまずえまたいちろう)と青地与右衛門(あおちよえもん)の2名。

信長は二人に刀を贈り、相撲奉行(相撲大会を仕切る役目)として召し抱えた。

1578年8月15日に相撲大会を開いたときには1500人の参加者が集い、良い成績を収めた14人の力士に100石の土地と家を与えたという話もある。

また、1579年8月6日と7日の2日間に催した大会では勝ち抜き戦スタイルの試合を行い、7人抜きした伴正林という少年に100石を与え、さらに褒美として織田家の列に加えて歩かせたそうだ。

ちなみに正林は、本能寺の変で信長と一緒に死去している。

さらに、こんな逸話もある。

豊浦(八幡市安土町)の「伝蔵」と常楽寺(湖南市西寺)の「右馬次郎」を相撲で競い合わせたが勝敗がつかず、どちらも素晴らしい戦いっぷりだったので引き分けではなく「両者勝ち」の采配をした信長。

伝蔵は豊浦の方角である東から土俵に上がり、右馬次郎は常楽寺の方向である西から土俵に上がったが、あえて信長がそうさせたという説があり、現在の相撲が「東西」に分かれているルーツと言われている。

とはいえ、当初は土俵などなく、力士や観客が周囲を囲んで円をつくり、その中で相撲をとるというスタイル。しかも、時間短縮のために次から次へと円の中に入って来ては相撲が始まるといった形式。

多いときには円の中に5人や6人の力士が同時に戦っている状態もあり、誰が勝って誰が負けたのか区別がつかない・・・。その勝敗を見極めるために信長が用意したのが「行司」だったとか。

信長公記には、木瀬蔵春庵と木瀬太郎太夫が進行と判定をしているような言動が記されており、これが行司のルーツではないかと言われている。

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