織田信長と豊臣秀吉のマネジメント能力(秀吉編)
信長の雑用係から始まり、着実に出世を果たし、やがて信長の亡きあと天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。気配り上手で、人が嫌がる仕事に率先して取り組んでいたそうです。
ほぼプータロー状態のスタートでしたし、秀吉の人脈はゼロ。おまけに財力もゼロ。にも関わらず、なぜスピード出世できたのか、それはポテンシャルの高さに他なりません。
また、人たらしと呼ばれていた秀吉ですが、しっかり人材を目利きして有能な武将らを配下にしています。加藤清正や福島正則などの武力部隊、石田三成や黒田官兵衛といった知能派など多種多様。
いかにして秀吉は名立たる武将らの頂点に立つことができたのか、今回は秀吉のマネジメント能力をチェックしてみたいと思います。
秀吉の対人スキル
画像:豊臣秀吉の像(豊國神社)
秀吉の優れた能力といえば、伝える技術と人たらし。コミュニケーション能力が高く、手紙でも会話でも「伝える技術」が高かったことがわかります。
また、伝えるといっても説明が上手いだけではなく、相手にイメージさせるのも得意だったようです。
相手が知りたい情報を解りやすくまとめ、具体的にコンパクトに描写することで「理解しやすい=イメージしやすい表現・手法」を用いて伝えていました。
また、頃合いを見計らって相手が知りたいと思うタイミングに伝えていたのも特徴。
興味を引くような話題をふって(前置きを置いて)から本題に入ったり、結論から先に述べて注釈を入れていくなど、相手に応じて伝え方を変えていたそうです。
そして、報告したり用件を伝えるときでも必ず相手を褒めていたといいます。
高いコミュニケーション能力で自然と相手を自分のフィールドに引き込むのが上手だった秀吉。ただ単に誉めて喜ばせるだけでなく、人たらしを応用した上級のコミュニケーションだったわけです。
人たらしのテクニック
画像:豊臣秀吉の木像(木彫前田工房)
まず秀吉は慎重に相手を観察し、どのようなアプローチで距離を縮めるか考え、相手が興味を引きそうな材料(情報)を準備したうえでコミュニケーションをとっていました。
ただし、手当たり次第にアプローチを試みていたわけではありません。相手の特性を見極め、有能な人材と判断したら口説くというスタンス。
口説き落とすためには頭も下げるし、いくらでも褒めます。狙ったターゲットに対しては、「あなたの味方だ」「俺は協力するよ」と日頃から印象付けていました。
人の心を掴んで自分の味方に引き入れる秀吉のテクニックは織田家の中だけでなく、敵の家臣もスカウトしてしまうほどの実力。
たとえば、竹中半兵衛を家臣にスカウトしたり、前もって丹羽長秀や池田恒興を味方につけて清須会議に出席したり、とにかく人を引き込む能力が高い人物だったことが分かります。
また、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と戦う際、上杉景勝と直江兼続を味方につけ、勝家に加勢していた佐々成政を攻め落とし、降伏させました。
※佐々成政の富山城を攻めるにあたり、新潟(富山の隣)の領主である上杉家と手を組んで包囲網を敷いた。
最終的には徳川家康も口説き落とし、天下統一を成し遂げました。家康とは小牧長久手の戦いで衝突しましたが、講和(仲直り)に持ち込むための根回しが巧妙。
家康のプライドを傷つけないように自分より高い位(官位)を家康に与えてほしいと朝廷に頼んだり、妹の朝日姫を家康の正室にしたり、実母の大政所を人質に差し出したりして口説き落としています。
家康と敵対したままでは天下はとれませんし、かといって天下を譲るわけにもいかないわけで、公平な立場をアピールしつつ実際には家康を配下につけるというシナリオを成功させています。