言わずと知れた冬の高級魚「フグ」。すでに戦国時代には食べられていたということをご存知だろうか。さらに、縄文時代の貝塚からフグの骨が発掘されていることもあり、縄文人もフグ食べていたとか。
しかし、フグには猛毒があり、この時代の人たちが毒を取ってから食していたかは定かではない。
フグの毒はフグ自身でつくり出しているわけではなく、フグが食べるエサが持っている毒素がフグの体内で濃縮され猛毒になっている。縄文時代のフグが現代のフグと同じような猛毒を持っていたかは不明である。
さて、大昔から食されてきたフグだが、戦国時代に”ある人物”がフグの食用を禁止した。その後、江戸時代に”ある人物”がフグの食用を解禁している。今回は、そんなフグにまつわる話を紹介したいと思う。
天下人、フグの食用を禁止する
毒にあたって死んだ人がいたかどうかはさておき、ある人物が天下統一を果たすまでフグは食べられていた。
その人物とは豊富秀吉。1592年に秀吉は朝鮮半島侵略の野望を胸に朝鮮出兵を断行する。このとき、出兵のために集まった兵たちの間で悲惨な事故が相次ぐ。
フグの毒に無知な兵たちが「この魚めっちゃ美味い!」とこぞってフグを食べたことで、次々と毒にあたって死者が続出したのだ。秀吉は、この事態に激怒。
「戦で命を落とすならよいが、魚を喰って命を落とすとは言語道断! もうフグを食べるのは禁止!」と、フグ食用にするのを全面的に禁じた。
各藩がフグの食用を取り締まる事態に発展し、長州藩ではフグを食べて中毒死した武士の家は家禄の没収や家名断絶という罰則が定められていたとか。
ただし、このエピソードは広く知られているが、根拠となる史料が残っていないそうだ。
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