いつから「鎖国」は始まった?教科書から「鎖国」が消えるって本当?(後編)
画像:出島阿蘭陀商館「長崎港図」(ロッテルダム海事博物館)
さて、幕府の対外政策(鎖国)によって外国との貿易が制限されていた江戸時代ですが、オランダ以外にも中国や朝鮮とも貿易を行っていました。また、琉球王国(現在の沖縄)やアイヌとの貿易も許されていました。
江戸時代に日本と貿易していた国
<長崎口>
現在の長崎港。長崎は貿易が盛んでポルトガルとの貿易も行っていましたが、鎖国によりほとんどの港が閉鎖され、長崎口だけが残りました。このとき、出島も閉鎖されています。長崎口はオランダや中国との貿易を行う窓口で、幕府が直轄で管理していました。
<対馬口>
朝鮮との貿易を行っていた港。現在の厳原港になります。江戸時代には対馬藩が管理し、藩主である宗氏(宗家)が朝鮮との外交を担当していました。
<薩摩口>
別名、琉球口と呼ばれますが、薩摩藩の管理し、琉球王国(沖縄)との貿易を行う窓口でした。現在の鹿児島港。
<蝦夷口>
別名、松前口と呼ばれ、アイヌ※との貿易を行う港。松前藩が管理し、幕府から北方交易を任せられていました。松前藩の財政は、ほぼ貿易による収益だったと言われています。現在の函館港。
※アイヌは、サハリン(樺太)、千島列島からカムチャツカ半島の南部にかけての地域
これら4つの港は「四口」と呼ばれており、それぞれ現地の藩が運営や管理を幕府から任されていました。長崎が幕府の直轄地だった理由は、四口のなかで最も貿易が盛んに行われていたからです。
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