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【江戸時代の裕福な藩はドコ?】江戸時代の「国」や「藩」、明治初期の「県」と「府」

日本には現在47つの都道府県が存在する。日本が都道府県で区分されたのは昭和に入ってからである。江戸時代は都道府県の代わりに「国」で区分し、市区町村に「藩」を置いていた。

それぞれの藩には「藩主」と呼ばれる責任者がおり、例えるなら「市長」のような立場。藩を監督する役目があり、江戸時代には約300の藩が全国各地に置かれていたという。

藩の歴史「幕藩体制」

1603年に徳川家康が江戸に幕府を開くと、1867年には15代将軍の徳川慶喜が朝廷に政権を返上(大政奉還)し、264年にわたって江戸時代は続いた。

この長期にわたる幕府の統治を支えたのが1603年に開始された「幕藩体制」と呼ばれる制度であった。

当時、藩は独立政府のようなもので、各地域の大名が自分の領土を「藩」として管理していたのである(この体制を地方分権という)。農民が納めた年貢で財政をまかなっていた。

徳川幕府は藩をもつ大名を管理するために参勤交代を義務づけ、ときには土木工事(普請)を課した。

また、武家諸法度に違反したり藩内で問題が起こったときには改易(藩の取り潰し)や減封(領地の没収)、移封(ほかの領地と取り換える)などの措置をとることで諸大名をコントロール。

これらのルールで体制を維持し続けたのである。また、藩の規模は「10万石」や「100万石」のように米の生産力を示す「石高」で領地の大きさを区別していた。

つまり、10万石の藩よりも100万石の藩は米の生産量が多く、農業の規模が大きかったので幕府への貢献度も高いと判断されていたわけだ。


画像:高山陣屋「年貢米俵」(高山陣屋管理事務所)

江戸中期の総石高は3000万石とあり、このうちの2250万石(75%)を占めていたのが大名領(各地域の藩)である。次に幕府領で400万石(13%)。

ちなみに幕府領は天領と呼ばれ、大阪、京都、長崎などの重要都市や伊豆、佐渡など資源の豊富な土地を領地として幕府が管理していたとのこと。

もちろん、この米は農民が育てるわけで、農民は「年貢」(現代で言う税金)として自分の土地を管轄している各藩に納めていた。よく時代劇で「年貢を納める」と言うが、「米を税金として納める」という意味。

ほかにも、旗本領が300万石、寺社領が40万石、公家領が7万石、皇室領が3万石という内訳で、これらをトータルして日本の総石高は3000万石となる。

いかに諸大名の藩が幕府の運営に欠かせないものだったかがわかるだろう。当然ながら年貢の徴収が少ない藩は貧乏で、反対に多い藩は石高が大きくなって裕福だったと言える。

参勤交代とは?


画像:©2016「超高速!参勤交代リターンズ」製作委員会

幕藩体制に欠かせない制度が「参勤交代(さんきんこうたい)」。ただ単に藩を置くだけでは各地の大名を正確に管理できない。そこで幕府は参勤交代という制度を設け、大名たちを管理したのである。

・参勤交代とは、各藩の藩主を一年ごとに江戸へ出向かせて将軍の身の回りで働かせる(出仕する)ことを義務づけた法令である。ほかにも、参勤交替や参覲交代、参覲交替などと言われることもある。

・起源は鎌倉時代に御家人が幕府へ出仕したのが始まりとされるが、これは将軍に対する大名の服属儀礼(主従関係を明確にするための儀式)として始まった。

・1635年に徳川家光によって再開され、徳川将軍に対する軍役奉仕を目的に制度化されたのである。

・参勤交代の順番が回ってくると、諸大名は一年おきに江戸と自分の藩を行き来しなければならず、江戸を離れる場合でも正室と息子は江戸に常住させておかなければならなかった。

・旅費だけでなく江戸の滞在費も大名の自腹なので、各藩に財政的負担を負わせると共に、家族を人質にできるという役割もあり、各藩の軍事力を低下させる目的を果たした・・・。と言われているが、これは副次的な目的であり、本来の目的は将軍と大名の主従関係を示すために用いた軍事儀礼。これにより264年も続く江戸時代の基盤を築き、反乱のない世を目指したとされている。

つまり、参勤交代とは、「誰が国のトップかわかっているか?」と各地の藩主にわからせるための儀式。そして、定期的に「料費や滞在費といった経費」を使わせることで藩の資金を減らして武器など余計なものを買わせないようにした。


画像:©2016「超高速!参勤交代リターンズ」製作委員会

さらに、参勤交代中は「妻や息子を江戸に預ける」ことで人質のような役割を果たし、「戦おう」なんて変な気を起こさせないために”縛り”つけておく厳しいルールだったのだ。

この参勤交代、とにかく当時の大名たちは嫌がったという。金はなくなるし妻と子供は江戸に置いておかないといけないし、何よりも江戸と自分の領地を行き来するのが大変。

江戸から離れておらず裕福な藩はいいだろうが、九州や東北になると厄介。ましてや貧乏な藩なら経費の捻出に苦労するわけで、非常に面倒な制度であったことは間違いない。

さらに厄介なことに幕府は各地の大名に対し、参勤交代とは別に定期的に「普請」も課している。普請とは、城の改築や道路の補修など土木工事である。これにより藩は出費がかさんでいくわけだ。

参勤交代を題材にした映画「超高速!参勤交代」では、そうした参勤交代に苦労する大名の姿が描かれているので観てみると面白いかもしれない。ぜひ、オススメだ。

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