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風呂敷の語源は本能寺の変?京都「愛宕神社」と「妙心寺」で明智光秀の足跡を辿る

風呂敷の語源は本能寺の変?京都「愛宕神社」と「妙心寺」で明智光秀の足跡を辿る

画像:明智光秀画(岸和田市-本徳寺)

戦国史において最大のミステリーと言っても過言ではない織田信長の死。いわゆる、「本能寺の変」である。未だ解明されていない謎が多く、経緯や動機、それを取り巻く人物たちの動向など、不可解な点が多いのだ。

本能寺の変で討たれた信長だが、これを実行したのが明智光秀。織田家に仕え、信長に尽くしていた光秀が裏切るとは、当時、誰が予想できただろう。

今回は、そんな光秀にまつわる逸話を紹介したいと思う。本能寺の変に関する興味深いエピソードなので、観光に行った際は、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。

愛宕百韻「威徳院」

画像:明智光秀が連歌をよんだ愛宕山威徳院

本能寺の変を起こした首謀者として歴史の悪役になった明智光秀。光秀と本能寺の変を結ぶヒントの一つに光秀が残した「愛宕百韻」という連歌(俳句)がある。

時は今 天が下しる 五月かな

 

現代語に訳すと、「今は五月そのものである」と情景を読んだ句。とくに、何の意味もない、情緒を想って歌った俳句と捉えることができるが、視点を変えて読むと全く違う内容が浮かび上がってくる。

この句を光秀が書き残したのは1582年5月24日。その数日後の6月2日に光秀は兵を挙げ、早朝に本能寺を襲撃している。さらに、光秀がこの句を読んだ場所も興味深い。

光秀の領地である愛宕山の威徳院にて、明智光慶、東行澄、里村紹巴、里村昌叱、猪苗代兼如、里村心前、宥源、威徳院行祐ら家臣の前で読み上げている。

現在は「愛宕神社」に改名されているが、この神社には足利将軍家に代々伝わる家宝「革包太刀」が保管されている。(現在は京都国立博物館に寄託)

足利義昭から寄贈を受けた豊臣秀吉公により奉納されたと伝わるが、近年、光秀の直筆の手紙も発見され、新たな説が浮上している。

手紙には足利義昭を京都に迎え入れることについて書かれており、光秀は室町幕府の再興を願っていたのではないかというもの。光秀が将軍家と内通していて信長を討ったのではないか、という説が囁かれているのだ。

朝倉家は足利家に仕えていた武家で、光秀は朝倉家に仕えていたため、将軍家に特別な親しい感情を抱いていたとしてもおかしくない。

また、光秀の盟友・細川藤孝が将軍家に仕えていたという”つながり”もあり、室町幕府を再び盛り上げるためには信長が天下統一を果たす前に消さなければ・・・、という説である。

これらに明確な根拠はないが、光秀の直筆の手紙が見つかったのは歴史的な出来事である。

この手紙は本能寺の変から10日後に信長と敵対する土橋重治へ宛てて出されていることから、以前から反信長勢力とつながりをもっていて室町幕府の復活を願う者たちと親交を深めていたという推測もできる。

画像:明智憲三郎著・本能寺の変 431年目の真実(文芸社文庫)

そして、愛宕山で読んだ句と本能寺の変をつなげて解釈すると次のような解釈ができる。

「土岐氏が今、天下をとる。この五月に」

明智は美濃国の守護だった土岐頼貞の九男、土岐頼基の末裔だと言われており、時と土岐をかけて、光秀が天下を狙っていることを俳句で読んだのではないか、という説を唱える者もいる。

また、これとは別にこんな解釈もある。光秀の末裔・明智憲三郎氏は自身の著書「本能寺の変 431年目の真実」の中で、「俳句は書き換えられたものである」と主張している。

本来の句は「下しる」ではなく「時は今 天が下なる 五月かな」とのこと。「下しる」と「下なる」が違うだけで全体の解釈が大きく変わってくる。

「しる」は「治める」という意味があり、「下しる」だと「天下を治める」という意味。「なる」では「降る」という意味になり、「下なる」であれば天を雨と解釈して「雨が降る」となるのだ。

つまり、「土岐氏は今、降り注ぐ五月の雨に叩かれているような苦境である」と解釈することになる。土岐一族の苦しい現状を歌っただけで、本能寺の変を示唆する俳句ではなくなるのだ。

ある人は”謀反の決意を表した句”と言い、ある人は”己の現状を歌った俳句”と主張する。いずれも確証に迫る裏付けがないため、やはり謎のままである。

愛宕神社(愛宕山威徳院)

京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1

全国に約900社を数える愛宕神社の本社。京都市最高峰の霊山である愛宕山の山頂に鎮座する
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