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平将門の怨念を封じた結界が山手線のルーツ?

徳川幕府と「北斗七星」の結界。明治政府が「平将門の怨念」を封じた方法とは?


画像:平将門肖像(築土八幡神社)

あなたも一度は聞いたことがあるかもしれない「平将門の怨霊・呪い」の伝説。反乱を起こした将門は藤原秀郷に討たれますが、それ以来、将門の怨念が呪いとなって災いをもたらしたというのです。

江戸時代に入ると"ある人物"が将門の怨念を利用するために結界を張りました。現在も、その結界は残っているんです。そして明治時代に入ると新政府(明治政府)は家康が張った結界を解くために新たな結界を張ります。

これも、今でも残っています。そこで今回は将門の怨念にまつわるミステリーと題し、家康が張った「北斗七星の結界」と明治政府が将門の霊力を弱めるために張った「遮断の結界」「山手線の結界」を紹介したいと思います。

まずは3分でわかる平将門ヒストリー


画像:月岡芳年・画「平相馬小次郎将門」平将門(国立国会図書館)

まだ日本に武将という概念がなかった800年代、桓武天皇の血脈を継ぐ一族の平良将は犬養春枝の娘との間に子を授かり、小次郎と名付けました。この男の子こそ、のちの平将門です。

小次郎が10歳のとき父の良将が他界。良将の領地(下総国佐倉。現在の千葉県佐倉市)を奪取しようと叔父の平国香が不穏な動きを見せ始め、やがて小次郎を厄介者扱いするようになります。

イラっとした小次郎は、地元を出て京へ遊学の旅に。12年後、元服した小次郎は将門と名を変え帰郷しました。戻って一息つく間もなく国香から襲撃を受けてしまいますが、「てめぇコノヤロー!」と意図も簡単に撃退しちゃいます。

怒りが治まらない将門は国香の館を焼き討ちし、国香に加勢した者たちやその家族も追放。こうして領内を平定するに至るわけです。着々と頭角をあらわし力をもった将門は、賄賂まみれの役人と揉め事を起こすようになります。

正義感が強かったんですよ・・・。ただ、それだけのこと。そうなると、今度は役人=朝廷(天皇が政治を行う本拠地)から目を付けられるようになります。役人連中は朝廷で働く国家公務員みたいなもの。

ついに将門は武力行使に出るのですが、常陸国(茨城県石岡市)を統治していた役人たちを力づくで追い出した際に印綬(天皇から授かる「治める権限を与えるよ」という印章)を奪ってましい、逆賊となってしまうんです。

が、しかし、領内のみならず関東地方の民衆が「よくぞ役人を追い払ってくれた!」と将門を称え、勢いに乗った将門は上総・常陸・上野(ほぼ関東一体)の役人を力づくで追い出して制覇。

ついに自分のことを「新皇(新しい天皇)」と名乗ってしまうわけで・・・。将門が朝廷を敵に回したこの反乱が平将門の乱」ですね。それはそれは、民衆から英雄と言われるくらい崇められていましたし、「これはイケる!」と思ったのでしょう。

でも、やはりラストは来てしまいます。国を治める朝廷が将門の行いを見過ごすはずもなく、討伐軍を送り込みます。

イケイケの将門が降伏するわけがないのは言うまでもなく、前線で戦って奮闘しますが飛び交う矢がこめかみに刺さって討ち取られるんですね。このとき、将門の討伐に一番乗りしたのが藤原秀郷と平貞盛(将門のいとこ)。

ほとんど急襲のようなかたちで将門に襲い掛かり、混戦状態だったことが想像つきます。将門のみならず将門軍の兵士たちも一人残らず一掃したような戦いだったそうです。推定、将門は37歳(または38歳)だったみたいですね。

そして、志半ばで討たれた将門の怨霊伝説がここから始まるのです。

将門の怨念


画像:左、成田山霊験絵巻「豪族将門も遂に誅に服する図」右、平将門退治図会「将門さらし首」

斬り落とされた将門の首は京都の七条河原に晒されましたが、なんと、数か月が経っても目を見開いた状態で歯ぎしりしているようなおどろおどろしい形相のまま。

その顔を見た歌人の藤六左近が一首ばかり詠みあげると将門の首は笑い出し、「体を取り戻して再び戦う。俺の胴体はどこだ?」と訪ねてきたという逸話が残っています。その声は毎晩のように町に響き渡ったとか。

そしてある日、将門の首は突然動き始め、胴体を求め故郷である関東のほうへ飛んでいった、と言われています。首を打ち落とすために矢を射ると首はバラバラになってしまい、最後に落ちた場所に「平将門の首塚」が作られたんです。

それからしばらくして疫病が蔓延(14世紀の始め)し、将門の怨念を鎮めるために神田神社が首塚を供養したところ、疫病が治まったことから1309年に平将門を祀りました。

そのほかにも将門を祀る神社や関係の深い場所が7つあり、

①将門の首が飛び越えた「鳥越神社(とりごえじんじゃ)」
②将門の兜が埋まっている「兜神社(かぶとじんじゃ)」
③将門の首が落ちた「首塚(くびづか)」
④首塚の将門を供養した「神田神社(かんだじんじゃ)」
⑤将門を地の神として祀る「築土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)」
⑥将門の怨念を封じている「水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)」
⑦将門の鎧が埋められている「鎧神社(よろいじんじゃ)」

これら7つの場所が今からお話しする「将門封じの結界」と深い関係があるんです。

将門の結界その1 「北斗七星」の結界

鳥越神社、兜神社、首塚、神田神社、築土八幡宮、水稲荷神社、鎧神社を線で結ぶと、そこには「北斗七星」が浮かび上がります。

将門は妙見菩薩(妙見神)を信仰していたと言われており、北斗七星と北極星は妙見菩薩と強いつながりをもっている星座。言うなれば、北斗七星は妙見菩薩の紋章みたいなものなんです。

そして、それぞれの神社はもともと別の場所にありました。つまり、北斗七星を描くために"ある人物"が今の場所に移したのです。その人物こそ徳川家康です。

首塚と神田神社を起点に残り5つの神社を意図的に動かし、北斗七星になるよう配置しました。家康は将門の強い怨念を利用し霊力を高め、徳川家の繁栄を願い、なおかつ江戸を守る目的もあったそうです。

事実、265年にわたり繁栄した江戸幕府。朝廷に代わって徳川将軍家が政治の実権を握り、まさに国家を治める天下人となったわけです。これって、将門がやりたたかったことじゃありませんかね・・・。

※諸説として、「天台宗の高僧天海が将門の怨念が災いをもたらさないように7つの神社を北斗七星の位置に移すよう家康に助言した」という説もあります。

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