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ポップな謙信と上杉家17将が萌える!新潟県上越PRパンフレットがキュート!

新潟県上越PRパンフレットのキュートでポップな謙信と上杉家17将に"萌え"


画像:謙信公PRパンフレット表紙(上越地域振興局)

ゆるキャラや武将隊など、戦国武将にあやかった地元PRが全国各地で展開されていますが、今回ロックオンしたのは新潟県上越市がPRを兼ねて作成した「越後の龍こと上杉謙信」のパンフレット。

キュートでポップな謙信と上杉家の武将たちが可愛いんですよね。上杉家を支えた17人の武将たちが謙信をPRするような流れで構成されていて、結構しっかりした仕上がりになっているんです。

上杉喜平次景勝(上杉景勝)


画像:上越地域振興局

わしは、上杉謙信公の後継者、上杉景勝じゃ。
お館様から「義の心」を引き継ぎ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という大きな敵と乱世の時代を渡り合ってきたのじゃよ。 さて、これからお館様の時代から上杉家に仕えてきた「越後十七将」 が、お館様のことを紹介していくこととする。

※1 幕末の「越後十七将之肖像」に描かれている武将達であり、伝説的な武将も含まれている

直江山城守(直江兼続)


画像:上越地域振興局

「謙信の生い立ち」

お館様の誕生は、1530年1月21日に越後守護代の長尾為景様の末子として 春日山城でお生まれになったのじゃ。寅年生まれのため、幼名は「虎千代」。 14歳のとき元服して「景虎」と改められた。

1561年には、関東管領上杉家の家督と職を相続し、上杉憲政様の一字を賜り 「上杉政虎」、同じ年に将軍足利義輝様の一字を賜り輝虎と改め、そして 1570年に出家して「謙信」と称し、上杉謙信として戦国の世に名を残したのじゃ。

荒川伊豆守(荒川長実)


画像:上越地域振興局

「義」とは

時は戦国時代。北条氏康、武田信玄、織田信長ら数々の戦国武将達が、領土拡大や天下に号令をかけようと戦をしておったのじゃ。しかし、下克上の戦乱の世にあって、お館様だけは侵略のために戦ったことは一度もなく、全てが「筋目」や「大義」を重んじた戦じゃった。

男気、さわやか、一本気、そして頼まれれば嫌とはいわぬ律儀なところ、まさに「義」 の心をもった戦国の武将じゃった。わしも、そんなお館様の心に惚れたんじゃよ。

斎藤下野守(斎藤朝信)


画像:上越地域振興局

「上杉家の兵力」

お館様は、上杉軍の兵力について まとめた「上杉家軍役帳」を作ったのじゃ。家臣たちが戦の時に出さなければいけない兵力が書いてあるのじゃ。その数は5553人。

ただし、軍役帳に記載されていない武将や医者などもおったため、実際に出陣した人数は、なんと8000人程だったらしいんじゃ。

神藤出羽守(実在は不明)


画像:上越地域振興局

「謙信の勝敗」

お館様は15歳から亡くなる49歳まで、70余回、戦をしたのじゃ。43勝2敗25引き分け。勝率は9割5分を超え、戦国大名ではトップの成績じゃ。負けた戦は言いたくないが、生山の戦いと臼井城攻めじゃ。喋ったことはお館様には内緒だぞ。

鬼児嶋弥太郎(小島弥太郎)


画像:上越地域振興局

「経済力の源は」

もちろん、お金が無ければ戦も出来ぬ。お館様は70余回も戦をしたのじゃからお金持ちじゃった。米の他に青苧という 特産物があったんじゃ。茎の皮から繊維が取れ、この繊維で織ったのが越後上布。

木綿が普及していなかった戦国時代には一般庶民の衣料として大切なものだったのじゃ。今も小千谷縮、 塩沢紬、十日町召として伝わっているのじゃな。青苧もお館様の大事な 財源だったのじゃ。

鴫山周防守(実在は不明)


画像:上越地域振興局

「上杉軍の旗」

上杉軍の軍旗「毘」は 、お館様が信仰していた毘沙門天の一字をとったものじゃ。毘沙門天は、北方の守護神であり、お館様は自らを毘沙門天の化身と信じ、越後で天皇、将軍のおられる京都を守護しようとしたのじゃな。

それゆえ、「毘」の軍旗が戦場にたつと皆、勇猛果敢に戦ったのじゃ。 「龍」の旗は懸り乱れ龍といわれ、この旗を持つ部隊が先頭になって敵陣に突撃したのじゃ。その様子は、龍神のごとく敵を一気に飲み込むかのようじゃった。

桃井讃岐守(実在は不明)


画像:上越地域振興局

「お酒が大好き」

お館様は大酒豪家だったのじゃ。日夜愛用していた酒杯は、直径10セ ンチ、深さ6.5センチの大きな「春日杯」というものじゃ。馬に乗っている時も、「馬上杯」という柄のついた酒杯で酒を呑んでおったのじゃ。

酒の肴は何じゃと思う? いつも梅干じゃ。梅干は二日酔い、疲労回復に効果があり、戦場食品としても貴重だったのじゃが、酒の肴がいつも梅干しでは高血圧になりますぞ、お館様。

永井丹波守(実在は不明)


画像:上越地域振興局

「謙信の彼女」

お館様は幼いときから天下平定を望み、女性とは無縁で独身だったのじゃ。ただ、ここだけの話じゃが、わずかながら女性に関する噂があるのじゃ。本当かどうかはわからんがの。

最近では、お館様は女性だったという噂も流れているようじゃが、私からは喋らないこととする。皆で色々な想像をしておくれ。果たしてお館様は男性か女性か。

唐崎左馬之介(実在は不明)


画像:上越地域振興局

「春日山城」

春日山城は、南北朝の動乱時期(14世紀)に築城されたといわれておる。その春日山城を堅固な構えにしたのは、お館様の父・長尾為景様じゃ。のちに家督を相続したお館様は居を春日山に構えたのじゃ。

お館様は、景勝様とさらに春日山城を堅固な構えにして、戦国時代の春日山城は完成したのじゃな。規模の雄大さでも全国屈指の名城じゃ。

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