注目の記事ピックアップ!

信長公記・11巻その6 「安部良成の服従」

信長公記・11巻その6 「安部良成の服従」

信長公記・11巻その6 「安部良成の服従」
画像:大和田城跡(兵庫県尼崎市)

安部良成の服従

蜂須正勝を通じて信長に服従を申し入れてきた(大阪市西淀川)の城主・安部良成(安部二右衛門)と芝山源内(いずれも村重の家臣)は、1578年12月29日(天正6年12月1日)の夜に小屋野(伊丹市昆陽。有岡城から西に直線の場所)の本陣を訪れて信長に御礼を述べた。

信長は褒美として金200枚を与えた。しかし、良成の父親と伯父が「石山本願寺と荒木村重を裏切るのは許さない。織田への服従には同意できない」と良成に抗議し、大和田城の天守に立て籠もったのである。

良成は二人を説得したが、聞き入れてもらえなかった。良成は服従を白紙に戻すために褒美として預かっていた金200枚を芝山源内を信長のもとへ遣わして返上し、服従せずに敵対することを父親と伯父に表明した。

信長は「それならば仕方ない」と承諾した。良成は阿閉貞征と蜂屋頼隆の陣地へ進軍し、鉄砲で攻撃するという戦略を父親と伯父に提案し、この動きに二人は満足しきっていた。

しかし、この一連の流れは父親と伯父を騙すための良成が講じた策略だった。まずは二人を安心させ、伯父を荒木村次(村重の息子)と共に大阪に向かわせ、今後も協力する意向を石山本願寺に伝えさせた。

そして、完全に安心して天守から降りてきた父親を良成は捕らえ、人質として京都に届けさせたのである。31日、再び良成は小屋野の本陣を訪れ、信長に一連の出来事を話したうえで服従を申し入れてきたのである。

これを聞いた信長は服従の誓いを上回る良成の働きぶりに感銘を受け、腰に差していた左文字の名刀を与え、完全装備の馬も与えたのであった。

さらに、信長は良成に金200枚を与え、川辺(兵庫県川辺郡猪名川町)の統治も任せた。なお、このとき、芝山源内にも馬が与えられた。

1579年1月1日(天正6年12月4日)、滝川一益と丹羽長秀は一ノ谷(神戸市須磨区)を焼き払っていた部隊を引き返させ、塚口村(伊丹と大阪をつなぐ中間地点。尼崎市塚口本町)に砦を築いて陣を構えた。

信長公記・11巻その6 「安部良成の服従」
画像:有岡城跡(兵庫県伊丹市伊丹)

1月5日の酉の刻(午後6時頃)に織田の軍勢は有岡城(伊丹市伊丹)を包囲し、攻撃態勢に入った。信長は菅屋長頼、堀秀政、万見仙千代に鉄砲隊を率いさせ、城の町口(門の一つ)に銃を乱射させた。

次に弓衆の中野又兵衛、平井久右衛門、芝山次大夫が城下の屋敷や家々に火矢を放った。酉の刻から亥の刻(午後10時頃)まで有岡城に攻撃を加えたが敵は塀で抗戦し、しぶとく守り続けていた。

戦いの最中、織田の家臣である万見仙千代が戦死した。1月8日、信長は伊丹・高槻・茨木の周囲に砦を構築するように命じたあと、小屋野(伊丹市昆陽。有岡城から西に直線の場所)から古池田(大阪府池田市)に陣を移した。

なお、各砦の守備を命じられたのは次のとおりであった。

塚口村砦(兵庫県尼崎市)・・・織田信孝、丹羽長秀、蜂屋頼隆、高山右近、蒲生氏郷
毛馬村砦(兵庫県尼崎市)・・・織田信包、織田信雄、滝川一益、武藤舜秀
倉橋村砦(大阪府豊中市)・・・池田恒興、池田元助、池田輝政
原田村砦(大阪府豊中市)・・・古田佐介
刀根山砦(大阪府豊中市)・・・氏家直通、稲葉一鉄、芥川氏、伊賀平左衛門
郡山砦(大阪府茨木市)・・・織田信澄
古池田砦( 大阪府池田市)・・・塩川伯耆守
賀茂砦(兵庫県川西市)・・・織田信忠
高槻城(大阪府高槻市)・・・高山右近、湯浅甚介、武田左吉、牧村長兵衛、大津伝十郎、生駒市左衛門、生駒三吉、村井作右衛門、猪子次左衛門
茨木城(大阪府茨木市)福富秀勝・下石彦右衛門・野々村三十郎
中嶋砦(大阪市東淀川)・・・中川清秀
大和田城(大阪市西淀川)・・・安部良成

さらに信長は、佐久間信盛、筒井順慶、明智光秀らの部隊に羽柴秀吉の部隊を援護につけ、播磨(兵庫県南西部)に進軍させ、村重の勢力である有馬郡の三田城(兵庫県三田市)への備えとして道場河原砦と三本松砦(いずれも神戸市)を築かせ、羽柴秀吉の兵を入れた。

その後、信盛らの部隊は播磨へ入り、別所長治が立て籠もる三木城(兵庫県三木市)に出撃する織田の兵らに兵糧や鉄砲、弾薬などを届けて有岡城に向かった。

八上城の包囲

明智光秀は播磨を出発して丹波(京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部)に攻め入り、波多野秀治(別所長治の同盟者)の居城である八上城(兵庫県篠山市)を包囲した。

八上城の周囲12キロメートルを兵で囲み、堀を作って塀や柵を二重、三重に築き、堀の周辺に陣営を構えて砦のように仕上げた。そして、昼夜を問わず厳重に警固や監視を行い、猫一匹も逃がさない勢いで包囲した。

一方、信長はパラパラと雪が降り始めた1579年1月18日(天正6年12月21日)に古池田から京都へ入り、1月22日に安土城へ帰還した。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 信長公記・7巻その2 「小笠原信興の謀反」

  2. 信長公記・首巻その3 「織田家の内部抗争(斯波義統の死)」

  3. 信長公記・首巻その4 「織田家の内部抗争(織田信友の謀反)」

  4. 信長公記・首巻その2 「織田信秀の死と聖徳寺の会見」

  5. 信長公記・首巻その1 「織田信秀の時代」

  6. 信長公記・首巻その9 「織田伊勢守家(岩倉織田)の消滅」

  7. 信長公記・首巻その5 「今川義元との戦いに備える」

  8. 信長公記・8巻その4 「越前の一向一揆(前編)」

  9. 信長公記・7巻その3 「長島一向一揆の終結」

最近の記事

週間人気記事ランキング

  1. 登録されている記事はございません。

全体人気記事ランキング

おすすめ記事

PAGE TOP