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戦国時代でスカウトしたい「本多忠勝」

戦国時代でスカウトしたい「本多忠勝」

戦国時代でスカウトしたい本多忠勝
画像:本多忠勝の肖像(良玄寺)

生没 1548年生まれ 1610年死去
出身 三河(愛知県東部)
主君 徳川家康
親族 父:本多忠高 息子:忠政 娘:稲姫 婿:真田信幸
特徴 戦国最強 生涯57戦で無傷 伊賀越えで貢献
天下三名槍「蜻蛉切り」を所有 自他共に認める猛将

徳川家康の秘蔵っ子で三河武士の象徴でもあり、戦国時代の猛将といえば本多忠勝を一番に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

姉川の戦いでは凄まじい単騎駆けで信長や家康を驚かせ、一言坂の戦い、長篠の戦い、高天神城の戦い、関ヶ原の戦いなど多くの敵を討ち取り、他の武将から三国志の張飛に例えられたほど猛将でした。

寛政重修諸家譜には忠勝について、「いくら武功に優れているといっても傷一つ負ったことがないのは驚きだ」と記されており、生涯57戦で一度も怪我していない強者なんです。

忠勝のトレードマークである鹿角の兜と肩から下げた金箔の大数珠、愛刀の稲剪(いなきり)大刀は刃渡りが1メートルもあり、10代の頃は背中に吊るしていたという逸話も残っています。

また、愛槍の蜻蛉切(とんぼきり)は天下三名槍の一つに数えられ、柄の長さは約4メートル(1丈3尺)。一説によると、柄が6メートル(2丈)ある槍も使いこなしていたそうで、 そんな長槍を目の前で振り回されたらゾッとしますね。

徳川秀忠から授かった三国黒(三国黒毛馬)が関ヶ原の戦いで島津軍の銃弾を受けて他界しますが、家臣の原田弥之助が三国黒の鞍(海無鞍)を忘れ形見に持ち帰ったというエピソードもあります。

ちなみに、落馬したときも忠勝は無傷だったとのこと。

忠勝、頭角を現す

戦国時代でスカウトしたい本多忠勝
画像:本多忠勝の銅像(岡崎城)

さて、そんな忠勝を生んだスタート地点は、14歳のときに出陣した「登屋ヶ根城攻め」です。

忠勝は初陣(13歳)で山崎多十郎(織田氏の家臣)に討ち取られそうになり、あわや絶体絶命のピンチというところで叔父の本多忠真に救われています。

しかし、14歳で参戦した登屋ヶ根城の戦いでは天性の豪傑ぶりを発揮して忠真を感動させました。

忠真は、初陣で武功を挙げられなかった忠勝に敵を討ち取らせてあげようと思い、敵兵に傷を負わせ、「こいつの首を切り取れ」と忠勝に言いましたが、忠勝は「それでは意味がない」と断り、そのまま敵陣に突っ込んで自ら討ち取った首を持って帰ってきのです。

その姿に忠真は感激し、「この男は必ず徳川家の役に立ちます」と主君の家康に進言しました(寛政重修諸家譜)。一方、忠勝は敗戦も経験しています。57戦で無傷といっても、当然ながら合戦で負けたこともあるんです。

遠江(静岡県西部)に侵攻してきた武田信玄の動向を探るため、25歳の忠勝は偵察に向かいました。不覚にも武田の大軍に見つかってしまい退却しますが、「一言坂」で追いつかれ、やむを得ず交戦することになります。

三方ヶ原の戦いの前兆となる 一言坂の戦いです。

勇猛果敢に戦う忠勝を見た家康は、「まるで八幡の神のようだ」と称え、さらに敵の信玄も「忠勝は家康には勿体ない男である」と書いた札を立て、称賛したという逸話が残っています。

三方ヶ原の戦いは忠勝にとって生涯で最大の敗戦となり、この合戦で忠真が戦死。その後の忠勝の人生に、大きな影響を与える出来事となったのは間違いないでしょう。

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