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独眼竜「伊達政宗」は「B型」ならではの独創的で奇抜な行動をとるアイデアマンだった?

画像:仙台藩初代当主-伊達政宗公之鎧と兜(仙台市博物館)

病気が原因で幼少期に右目の視力を失った伊達政宗。武士にとって片目は”ハンデ”だったにも関わらず、持ち前の器量で戦国時代に名を轟かせた。

15歳で初めて合戦に参加し、18歳の時に伊達家を継いだ。26歳で豊臣秀吉の家臣となり、秀吉の死後、現在の仙台市をまとめる役割を家康から任せられ、1601年に仙台藩の初代当主となった。

宮城県仙台市を象徴する人物として有名な武将であり、様々な逸話が後世に語り継がれている。今回は、そんな政宗に関するエピソードを血液型と照らし合わせながら紹介したいと思う。

B型の特徴は?

独眼竜の異名をもつ政宗の血液型はB型。秀吉、家康に仕え、戦国から江戸までを持ち前の処世術で乗り越えてきたわけだが、B型と聞いて”しっくり”くるのは何故だろう。

・隠れた野心家で、つねにチャンスを狙っている

・周囲の意見よりも自分の考えを優先してしまう

・一人で物事を解決しようとする

・ルールを守るのが苦手で自分のペースを大切にする

・他人の影響を受けやすい。情が深い

・気分次第で行動を起こす

・予想もしないミラクルを起こす

・興味のないことには無関心

・ユーモアに優れていて柔軟な考えを持っている

・団体行動が嫌いで、チームワークが苦手

・一人で器用に物事を進めていける能力がある

・アイデアが豊富で企画力は優れているけど計画性がない

・コミュニケーション能力がズバ抜けて高い

・好きなことだったら勉強や努力を惜しまない

・理屈や根拠より気合いや情熱を優先する

画像:伊達政宗公之騎馬像(青葉城-本丸会館)

まとめると、B型の特徴は「ユーモアやアイデアが豊富」で「発想力が豊か」。そして、「コミュニケーション能力は高い」けど「一人での行動を好む」自由気ままな性格ということになる。

チームワークが苦手なので黙々と打ち込める作業に向いているが、理屈や計画で行動せずに気合いと情熱で成し遂げようとする行動派な一面もあるようだ。

政宗は野心を隠し、チャンスさえあれば天下統一も夢ではないと考えていた。しかし、時代はすでに秀吉から家康の時代へと移り変わり、チャンスがないまま戦国時代が終わってしまう。

それでも仙台の藩主へと昇りつめた政宗。幼い頃には「片目」のハンデを背負って苦労しており、政宗が後継者に選ばれた時も周りの人は「左目だけで伊達家を守れるのか」と冷遇されたこともあった。

そんな政宗にとって、幼い頃より行動を共にしていた片倉小十郎の存在は大きかった。小十郎は政宗の教育係。彼の教育を受け、政宗は立派な青年へと成長した。

のちに政宗の片目は「独眼竜」と呼ばれるようになり、「片目ながら優秀な剣術を持っている」と周りの武将を怖がらせたという。大人になるにつれ男としての頭角を現した政宗は、豊臣家の家臣となった。

アイデアで乗り切る奇才な武将

秀吉に仕えていた頃の逸話に、こんなエピソードがある。

画像:豊臣秀吉肖像画(秀吉清正記念館-中村公園文化プラザ)

秀吉は凶暴な猿を一匹、飼っていた。秀吉のもとを各地の武将が訪ねると猿が歯をむき出しにして襲いかかり、それを見て笑うのが秀吉にとって何よりの楽しみだったのである。

当然、この話は政宗も知っていた。ある日のこと、秀吉は政宗を呼び出す。しかし政宗は、あろうことか秀吉に向けて断りの手紙を書いたのだ。

秀吉様、私は今、体調が優れませんのでそちらに伺うことができません。2~3日中には体調を整えて秀吉様のもとを訪ねますので、今回はお許しください。

さすがに体調が悪いとなれば秀吉も強要することができず数日ほど待つことにした。その隙に政宗は、秀吉が飼っている猿の世話係を味方につけると、自分のもとへと猿を連れてきて調教したのだ。

歯をむき出して襲いかかろうとする猿を何度も鉄の扇子で叩いた。次第に猿は政宗を恐れるようになり、大人しくなった。調教が済んだところで猿を秀吉の屋敷へと返したのである。

そして、再び秀吉から呼び出しの手紙が届く。政宗が秀吉の屋敷へと着くと歯をむき出した猿が通路を塞いでいた。秀吉も影から様子を見ている。

猿に襲われて驚く政宗の姿を楽しみにしていたのである。ところが、政宗は猿の前を素通りして秀吉のもとへとやって来た。猿は政宗が持っていた鉄の扇子を見ると震えながら怯えたのだ。

猿の怯え方を見た秀吉は、「政宗の独眼竜は凶暴な猿も黙らせてしまうのか」と感銘を受けたとか。

なんともB型らしい奇抜な発想力。柔軟な発想とユーモアさがなければ簡単に考えつく方法ではない。

ほかにも、手が滑って大切にしていた茶碗を床に落としそうになったとき、ホッとした自分に腹を立てて、その茶碗を地面に叩きつけて割った話もある。「茶碗に驚かされてしまうようでは武士として情けない」そう思ったらしい。

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