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信長公記・2巻その1 「二条城の建築」

信長公記・2巻その1 「二条城の建築」

信長公記・2巻その1 「二条城の建築」
画像:旧二条城跡(京都市上京区鳥丸)

六条の合戦

1569年1月20日(永禄12年)、三好三人衆(三好長逸・岩成友通・三好政康)は畿内(大和国・河内国・和泉国・摂津国・山背城)を流浪していた斎藤龍興、長井道利らを集め、薬師寺九郎左衛門を先鋒として足利義昭の座所(高貴な人が住む屋敷)である本圀寺(京都市山科区)を襲撃した。

敵兵は門前を焼き、寺の敷地に侵入しようとしていた。一方、義昭の護衛は細川藤賢、織田左近(信浮)、明智光秀、山県源内、坂井直政、野村越中、赤座七郎右衛門、津田左馬丞、森弥五八、宇野弥七。

若狭衆の山県と宇野は一目置かれていた勇士で、敵兵が攻めてくるなり薬師寺の部隊に飛び込み、斬り崩して奮戦した。しかし、次々と押し寄せる敵兵らに行く手を阻まれ力尽き、両者ともに槍で討たれ戦死した。

ほかの武将らも抗戦し、敵の侵入を防いでいる。敵兵30人を弓で射倒す場面もあり、敵兵らは攻めあぐんでいた。

やがて、三好義継(三好氏の当主。三好三人衆と対立して信長の配下になっていた)、細川藤孝、池田勝正、池田正秀、伊丹勢や荒木村重の部隊などの援軍が到着し、桂川(京都を流れる淀川水系の一級河川)にて三好勢と交戦した。

激戦だったが援軍は高安権頭ら敵方の武将を何人も討ち取り、三好勢を撃退したのである。合戦後、岐阜の信長のもとに京の使者から勝利したとの報告が入った。

迅速なる出立

信長のもとへ三好勢が本圀寺に攻め寄せているという知らせが入ったのは6日であった。この日、運悪く美濃は大雪で京都までの道中が険しくなることが予想された。

ところが信長は支度も整えず、すぐさま馬にまたがって京都へ行くと言い出した。当然、家来たちは驚き、一早く準備を済ませようと荷物を取り合ったのである。信長は馬を降り、「どれも同じ重さだ。早く支度せよ」と場を鎮めた。

やはり雪の中の進軍は困難を極め、凍死する兵もいたが、通常なら3日はかかるところを2日で到着し、騎馬10人余りで本圀寺へと先を急いだ。

敵軍を撤退させたことを信長は大いに喜び、奮戦して敵に対抗した池田勝正ら現地の武将に恩賞を与えた。

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