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信玄と謙信、どちらが勝った?「10分」でわかる「川中島の戦い」

信玄と謙信、どちらが勝った?「10分」でわかる「川中島の戦い」

信玄と謙信、どちらが勝った?「10分」でわかる「川中島の戦い」
画像:場取武礼駒「川中島之決戦」 (イラスト:長野剛©バンダイ)

戦国時代は「〇〇の戦い」「〇〇攻め」など、数多くの合戦が各地で繰り広げられました。たとえば、桶狭間の戦いや関ヶ原の戦い、美濃攻めや小田原攻めなど、135年間で起きた合戦は主なものだけでも439回(独自調べ)。

平均すると、毎年、およそ3.5回の合戦が行われていたことになります。そして、戦国時に残る戦いの中でも、とくに知名度の高い合戦が「川中島」ではないでしょうか。

越後の龍・上杉謙信と、甲斐の虎・武田信玄が10年にわたって激突した"因縁のライバル"と称される戦いです。今回は、川中島の戦いについてザックリ復習していきたいと思います。

川中島の戦いが起こった原因

信玄と謙信、どちらが勝った?「10分」でわかる「川中島の戦い」
画像:左・葛尾城跡、右・砥石城跡

●武田信玄
大永元年11月3日(1521年12月1日)生まれ。
父は、甲斐守護の武田信虎。幼名は太郎。
16歳(1536年)で元服し、名を晴信に改めた。

天文10年(1541年)
父の信虎を駿河に追放し、武田家の実権を握る。
本格的に信濃への侵攻を開始する。

天文17年(1548年)
上田原の合戦で葛尾城の城主・村上義清と戦うが大敗する。

天文19年(1550年)
砥石城で村上義清と戦うが敗退。(砥石崩れ)

天文20年(1551年)
武田の家臣・真田幸隆(真田幸村の祖父)が調略で砥石城を落とす。

天文22年(1553年)
村上氏の家臣が相次いで信玄に寝返る。
葛尾城を攻めて村上義清を北信濃から追放する。

●上杉謙信
享禄3年1月21日(1530年2月18日)生まれ。
父は、越後守護の長尾為景。幼名は虎千代。
13歳(1543年)で元服し、名を景虎に改めた。

天文17年(1548年)
病弱な兄の晴景に代わり、上杉家を相続する。

天文21年(1552年)
関東管領の上杉憲政が北条氏康から攻撃を受けて越後に逃げ、謙信を頼る。
北条氏の討伐を掲げ、謙信は関東に進軍。

天文22年(1553年)
北信濃を追放された村上義清が越後に逃げ、謙信を頼る。
葛尾城の奪還と武田の討伐を掲げ、謙信は北信濃に進軍。

川中島の戦いは、信玄が北信濃(長野県北部)へ侵攻するにあたり「葛尾城(長野県埴科郡坂城町)の城主・村上義清を北信濃から追放した」ことが発端です。

信玄は義清と戦うも過去に上田原と砥石城の戦いで2度も大敗しましたが、武田の家臣・真田幸隆(昌幸の父で幸村の祖父)が村上氏の家臣(矢沢薩摩守)を寝返らせ、調略によって砥石城を落としました。

その後、幸隆は村上氏の配下・大須賀久兵衛尉も寝返らせ、久兵衛尉が謀反を起こすと室賀氏や屋代氏、石川氏など義清の家臣が相次いで信玄に降伏。信玄は1553年7月に葛尾城に攻め入って義清を信濃から追放しました。

義清は越後に逃げ、謙信に助けを求め、これに応じた謙信は葛尾城を取り戻すために信玄の討伐を掲げて北信濃へ進軍。そして、第一回目の川中島の戦いが1553年9月に開戦することになります。

川中島の戦いは決着がついたのか?

信玄と謙信、どちらが勝った?「10分」でわかる「川中島の戦い」
画像:左・春日山城の上杉謙信、右・甲府駅前の武田信玄

1553年9月に開戦した川中島の戦いは、1564年9月まで11年にわたって5度も繰り広げられます。結論から言うと、川中島の戦いは最後まで決着がつきませんでした。

もっとも激戦となったのは第四次の「八幡原の戦い」でしたが、信玄は弟の信繫や山本勘助、諸角虎定や初鹿野源五郎など有能な家臣を多く討ち取られています。一方、謙信は指揮官クラスの家臣は失っていません。

しかし、後半は兵力で上回る武田軍※が一気に攻め立て、上杉軍は信濃から本拠地である越後(新潟県)に引き揚げました。※(一説によると武田の兵は2万で上杉は13000)

所領の獲得という点では信玄が本来の目的を果たしているので勝ちと言えますが、兵力差があるにも関わらず武田の屈強な武将らを多く討ち取ったという点では謙信に軍配が上がるでしょう。

政治的な面では信玄の勝利(しかし多くの家臣を失った)、戦闘という点では謙信の勝利(しかし本来の目的である村上義清の領地は奪い返せなかった)と考えられます。よって、差し引きで考えると、引き分けという結果です。

信玄・・・信濃全域の支配権を獲得したが、有能な家臣らを多く失った
謙信・・・武田の武将らを多く討ち取ったが、北信濃は取り返せなかった

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