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「信長包囲網」を知らずして戦国時代は語れない!織田信長と足利義昭の”因縁”を振り返る

織田信長の生涯に影響を与えた人物の一人が足利義昭である。いや、むしろ義昭の人生は信長に踊らされたと言っても大げさではない。しかし、ことの始まりは義昭が仕掛けた「信長包囲網」にある。

この出来事が二人の行く末を大きく変えた。信長が天下統一を決意するきっかけとなり、一方で義昭は天皇家の権威を失い、それまで各地に散らばっていた戦国武将たちを結びつける出来事となった。

いわば、信長包囲網は戦国の世を本格化させた歴史的な”事件”と言えるのだ。そして、信長の命を奪った本能寺の変にも義昭が関わっているのではないか、という”黒幕説”まで浮上することになる。

信長と義昭の出会い


画像:©2013「信長の野望 創造」(コーエーテクモゲームス)

信長は35歳のとき、義昭と出会う。その12年後に信長は本能寺で死ぬ。わずか12年の間で様々な修羅場を迎え、その発端となったのが『信長包囲網』であることは間違いない。

義昭は源氏の末裔・足利家に生まれ、足利家は鎌倉幕府を開いた源頼朝と強いつながりをもつ武家である。のちに室町幕府を開き、初の征夷大将軍となった足利尊氏の子孫にあたる。

1331年に後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅ぼす意向を示すと尊氏は後醍醐天皇に従軍し、鎌倉幕府の滅亡に貢献した。ところが、しばらくして尊氏は後醍醐天皇と対立する。

尊氏は後醍醐天皇と不仲であった光明天皇から征夷大将軍の地位を与えられ、1338年に京都に室町幕府を開いた。これを後醍醐天皇が黙って見過ごすはずがない。

後醍醐天皇と足利尊氏の対立「南北朝の戦い」が始まり、尊氏の亡きあと、3代目の足利将軍・義光の時代に戦いは幕を閉じ、ようやく室町幕府を安定させることができる。

そして時は過ぎ、12代目の足利将軍・義晴の次男として生まれた義昭。父が亡くなったあとは長男の義輝が13代目・足利将軍に就任したが、松永久秀や三好長慶に討たれ室町幕府は滅びた。

義昭は寺に閉じ込められたが細川幽斎など武将の力を借りて抜け出し、足利の身分を捨てて朝倉義景に助けを求め、義昭は義景の居城である一乗谷城で暮らす。

義景を味方につけて将軍の座を取り戻そうとするが、この要望に対して義景は動かなかった。そんな矢先、
愛知県で威勢のいい武将がいることを義昭は思い出す。その武将こそ、織田信長である。

以前、信長は義昭の兄、義輝に会っており、京都まで足を運んでいる。それ以降の信長は桶狭間で今川義元を討ち、徳川家康や滋賀の浅井長政と同盟を結び、岐阜や三重への侵略など勢いに乗っていた。

「あの男を味方につけて室町幕府を復活できないものか・・・」そう考えた義昭は朝倉家の家臣であった明智光秀に仲介を頼み、信長と対面することになる。

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