注目の記事ピックアップ!

嘘か真か、戦国時代の"おもしろ"珍雑学<part1>

嘘か真か、戦国時代の"おもしろ"珍雑学<part1>


画像:山県昌景の長柄隊(JAPANミニチュアフォーラム)

歴史には風説や伝説がつきもの。武将となれば逸話の一つや二つあっても不思議じゃありません。そこで今回は、「嘘か真か」根拠が怪しい"説"をもとに「おもしろ雑学」を紹介したいと思います。

文中に「~らしい」や「一説によると~」など確証を得ない表現が多々ありますが、今回のテーマは「嘘か真か珍雑学」なので箸休め程度にお読みくださいね。それでは、さっそく参りましょう。

上杉謙信の女性説


画像:月岡芳年・画 「弾正少弼上杉謙信入道輝虎」(東京都立図書館)

越後の龍、上杉謙信。一説によると、戦国時代に来日した宣教師は謙信のことを「叔母(おば)」と報告書に記録していたそうで、つまり、叔母=女性ということになりますよね。

さらに、謙信は脳卒中(または脳溢血)で病死したと言われていますが、実は「腹痛」が悪化して急死した可能性があるそうです。もっと確信めいたことを言うと、腹痛の原因は「大虫(婦人病や更年期障害のこと)」を患っていたとか。

さらに、さらに、毎月10日頃になると腹痛を起こしていたらしく、合戦の最中や出陣する前に腹痛を起こすことが多々あったそうで、ポイントは謙信が亡くなる前に発見された場所が「トイレ」の中ということ。

これらを点で結ぶと「謙信、女性説」が浮かび上がってくるんですが・・・。嘘か真か、ミステリアスですね~

家康の資産はいくら?


画像:徳川家康公之肖像画(江戸東京博物館)

関ケ原の戦い、大坂夏の陣を経て天下統一を果たした徳川家康。江戸幕府を開いた頃に所有していた財産は膨大だったそうで、一説によると「金470箱」「銀4950箱」もあったとか。

当時の価値で200万両、現在の価格に換算すると3000億円に値する財産を所有していたらしいです。そのほか、茶器や美術品、武具などを含めると見当もつかないほどの資産をもっていたことになりますね。

亡くなる前に総資産の3分の1を徳川御三家に分配したそうで、残りの3分の2は江戸城の蔵に保管。その後、戊辰戦争を経て徳川家は滅びますが、明治時代が訪れる前に徳川家は余っている財宝を隠したという説も・・・。

そして、「徳川埋蔵金」伝説が囁かれるようになったとか。嘘か真か、徳川の財宝が見つかる日はやってくるのか、ロマンを感じますね~

薄口・濃い口の発祥

関東は濃い口、関西は薄口、この文化の発祥は戦国時代という説が。関東は田舎で農業が主体だったらしく、肉体労働で汗を流せば塩気の強い食べものが欲しくなるんです。

そのため、関東では濃い醤油が定着したとか。一方、関西は商人の町で、文化人も頻繁に出入りしていたので食事も上品な薄味になったと言われているんです。

また、「水質」も関係しているとか。関東の水は「硬水」だからカツオのダシがとりやすく、カツオのダシは味が濃い目。それに負けないように濃い口醤油を使わないとカツオの風味が強くて生臭くなってしまうのを気にして機えていたようです。

そうすると、必然的に全体の味が濃くなるんですね。一方、関西の水は「軟水」だから昆布でダシをとっていて、昆布の優しい風味を損なわないように薄口醤油を使っていたそうです。

これもまた、必然的に全体の味が薄味になるんですね。戦国時代に始まった薄口と濃い口の食文化、嘘か真か、あなたは信じますか~

戦国武将の血液型判定

伊達政宗はB型、豊臣秀吉はO型など、当時は血液型を判定するものがなかったのに「どうして分かるの?」と疑問に思うところ。どのような方法で戦国武将の血液型を特定したのでしょうか。

それは、「遺骨」ら血液型が判別できるんです。たとえば、伊達政宗。息子の忠宗が瑞鳳殿を建立し、政宗を埋葬(土葬)しましたが、何百年も時が経ち、仙台市の協力を得て発掘調査を行い、現代科学を結集させて遺骨から血液型を判定したわけです。

火葬で粉々になった遺骨では判別できませんが、埋葬された骨なら判定できるそうです。

家紋に使いたくなかった2つの花

悲劇の家紋と言われる「桔梗紋」。桔梗という花をモチーフにした家紋ですが、悲劇的な最期を迎えた明智光秀や坂本龍馬が使っていたことから悲劇の家紋と言われるようになったんです。

桔梗とは別に、武将たちが好まなかった花が「椿」と「桜」でした。家紋は代々、一族で受け継がれるものですが、なかには途中でオリジナルの家紋を新たに設けるケースもあったようです。

なぜ「椿」と「桜」が武将に不人気だったかというと、椿の花が散るとき「まるで首を斬られたように」ポトンと地面に落ちるから。桜は、「パッと散る」から。つまり、縁起が悪いという理由。

一族の繁栄や家督の存続、自分の命や家臣たちのこと、いろんな要因を考えたときに「椿」と「桜」はイメージが悪かったようです。ちなみに、「椿」と「桜」を使っていた武将もいたんですよ。

ただし、定紋(公式の家紋)ではなく替え紋(非公式の家紋)として、ですが・・・。今や桜は日本を象徴する"国花"となっていますが、戦国時代には武将たちから好まれなかった花なんですね。

ページ:

1

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 美談も武勇伝も必要なし?「上杉謙信」が”戦い”に求めていたものとは?

  2. 天下の茶人、千利休が遺した「四規七則」「利休道家」とは?(後編)

  3. なぜ豊臣秀吉は怒ったのか?天下の茶人「千利休(せんのりきゅう)」が切腹した理由(後編)

  4. 戦国のスーパーサラリーマン「豊臣秀吉」は努力家で猪突猛進の「O型」だった?

  5. 日本に初めて病院ができたのは?戦国時代?それとも明治?

  6. 嘘か真か、戦国時代の"おもしろ"珍雑学まとめ<part2>

  7. 武田の騎馬隊はフィクションなのか?戦国時代の武将は本当に騎馬で戦っていたのか?

  8. 戦国時代でスカウトしたい「蒲生氏郷」

  9. 戦国時代でスカウトしたい「佐竹義重」

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

週間人気記事ランキング

全体人気記事ランキング

おすすめ記事

PAGE TOP