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嘘か真か、戦国時代の"おもしろ"珍雑学<part1>

安土桃山の由来


画像:藤原邦信・画「豊臣秀吉」の肖像(秀吉清正記念館)

織田信長が足利義昭を京都から追放して1573年に終焉を迎えた室町幕府(室町時代)。そして、家康が江戸幕府を開いた1603年。この間の30年間を「安土桃山時代」と言いますね。

足利義昭が京から追放され、室町幕府が滅んでから、徳川家康が江戸に幕府を開くまでの約30年間を【安土桃山時代】といいます。別名、「織豊時代」

由来は、「織」田信長と「豊」臣秀吉が政権を握った時代だから。安土桃山も、これと全く同じ意味です。安土は信長の居城であった「安土城(滋賀県近江八幡)」を建てた場所。

では、「桃山」の由来は・・・。秀吉って桃山城に住んでたかな?と思ったあなた、桃山とは「伏見」のことなんです。つまり、「伏見城」のこと。

でも、秀吉って聚楽第が最期の住まいじゃなかった?と思ったあなた、聚楽第は秀吉が亡くなる3年前に自らの手で取り壊しているんですよ。最期を迎えたのは伏見城でした。

安土桃山時代とは、「安土城に住んでいた織田信長の時代」「桃山城(伏見城)に住んでいた豊臣秀吉の時代」信長と秀吉が政権を握った時代というのが由来です。

戦国武将の平均身長は155センチ前後

おそらく戦国時代に「身長を測る」という文化はなかったでしょうし、史料や文献を見ても明確な計測を示すものは残されていません。では、どのようにして戦国武将の身長を現代人が測定したかというと「甲冑」です。

甲冑は合戦に着ていく装備であり、鎧(よろい)って呼んだりしますね。甲冑は兜もあわせて18のパーツからできていますが、兜と立物を省いた16のパーツで大よその身長を割り出すわけです。

もちろん、本人が使っていた甲冑でなければ意味がありません。さらに、もう一つの方法が「遺骨」。墓を改装したり修復したりするときに専門家の方たちが遺骨を調べてデータを取るんです。

そうした地味な方法から算出された推定身長が次の通り。

伊達政宗・・・160センチ
徳川家康・・・156~158センチ
豊臣秀吉・・・147~150センチ
石田三成・・・155センチ
山県昌景・・・145センチ
本多忠勝・・・133センチ

平均すると、およそ150センチ。今の時代から考えるとかなり小柄です。そんな男たちが重い甲冑を着て刀を振り回していたのを想像すると、腕力・筋力・脚力が強かったことがわかりますね。

例外として大男だったのが藤堂高虎で190センチ前後。これは、マジで例外・・・。

嘘か真か、戦国時代の珍雑学


画像:山県昌景の長柄隊(JAPANミニチュアフォーラム)

さて、あなたはいくつ知っていました?

誰かに話したり教えたりするのは自由ですが、不確定な要素も多いので自己責任でお願いしますよ(笑)

とはいえ、まんざら"嘘"とも言い切れませんし・・・。歴史ネタの一つとして覚えておくと面白いかもしれませんね。

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