前編では、フリーメイソンの基本的な概要と坂本龍馬の行動、トーマス・グラバーとの出会いを確認しながらフリーメイソンとの関係性を探ってみたが、やはり確証的なつながりまでには至らない。
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坂本龍馬はフリーメイソンだったのか?グラバーや勝海舟との出会い、龍馬暗殺との関係(前編)
後編では、さらに深掘りしてみたいと思う。なぜ龍馬に資金力があったのか、人脈があったのか、龍馬が暗殺された背景にフリーメイソンは関与しているのか、歴史の謎をハックしてみよう。
亀山社中の資金は誰が用意した?
グラバーと龍馬がつながっていたことは確かだろうが、龍馬がフリーメイソンの会員であったことを示す記述はない。そこで注目したいのが、龍馬が長崎に設立した亀山社中だ。
当時、龍馬は大量の銃を仕入れている。亀山社中を起ち上げ、わずか2~3ヶ月で仕入れた銃は7300丁。銃一丁が15両の価格だったとされ、現在に換算すると7300丁で44億円。
画像:©Chicago Regimentals Co.,Ltd(スナイドル・エンフィールド)
ほかにも、一丁35両(150万円)の銃もあったことを考えると、とてつもない資金がないと無理だ。大名でも簡単に調達できない金額を浪人の龍馬が用意できたのは疑問が残る。
※浪人・・・一定の住所に留まらず、各地を転々としていた者
※幕末の銃一丁の相場・・・ミニエー銃18両、エンフィールド銃40両、ゲベール銃5両
※1両・・・江戸幕府の初めは1両75,000円、幕末には1両40,000円くらいの価値まで下がった
一説によると長崎の富豪であり商人である小曾根英四郎が資金を融通したと言われているが、いくら龍馬が勝海舟の弟子とはいえ、何の保証や担保もなく貸すわけがない。
薩長同盟を結んだあと、長州藩は薩摩藩の名義でグラバーから巨大戦艦(ユニオン号)を購入し、この価格は5万両(20億円)。ユニオン号で7300丁の銃を運び、長州から薩摩へ米500俵を運んだときにも使われた。
薩摩藩は「桜島丸」と名付け、長州藩では「乙丑丸(いっちゅうまる)」と呼んだが、実質的にユニオン号を所有していたのは亀山社中で、操縦は亀山社中が行っていた、との記録がある。
ユニオン号や銃の購入で莫大なお金が動いたわけで、そんな資金を用意できたのは謎である。グラバーの後ろ盾があったとしたら・・・、そう考える専門家もいるようだ。
フリーメイソンの会員であったヨーロッパの財閥”ロスチャイルド”もグラバーとの関わりがあったとされており、1700年の後期に銀行を営んで成功したロスチャイルドは莫大な財を成している。グラバーを介してロスチャイルドの支援もあったのでは、という説もある。
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