今にも駆け出しそうな躍動感!思わず"うっとり"してしまう戦国武将の「騎馬像」17選
画像:平敦盛と熊谷直実の一騎打ち像(須磨寺)
戦国時代、颯爽と戦場を駆け抜けた「騎馬武者」。その姿を間近で見れるのが武将の「騎馬像」ではないでしょうか。全国各地に戦国武将の騎馬像が建てられており、たとえば城跡や駅前なども見逃せない歴史スポットの一つ。
そこで今回は、武将たちの躍動感たっぷりの騎馬像を17体ピックアップしました。史跡めぐりや観光の際は、騎馬像に限らず近くに銅像がないか探してみるのも意外と楽しいですよ。
上杉謙信
まずは、こちら。上越妙高駅の謙信像は30代の頃をイメージして彫られているそうです。越後の龍と恐れられたとは思えないほど優しい表情。ところが戦になると一変!大太刀を振り回して敵をなぎ倒していたんですね。
画像:上越妙高駅(新潟県上越市)
春日山城近くの上越市埋蔵文化財センター前で勇壮と馬にまたがる謙信像。馬が跳ねる姿は躍動感たっぷり。
画像:春日山城跡(新潟県上越市)
川中島の戦いを舞台に掘られた武田信玄と謙信の一騎打ち像。大太刀を振りかざして斬りつけようとしている姿ですが、
それを軍配で受け止めようとしている信玄も"ただ者"じゃありませんね。
画像:川中島古戦場(長野市小島田町)
伊達政宗
仙台城跡に凛と構える独眼竜、政宗の銅像。仙台藩、初代藩主。設置されたのは1935年ですが、戦時中に金属として使用するため一度は撤去されました。現在の騎馬像は、1964年に作り直されたものです。
画像:仙台城跡(宮城県仙台市)
井伊直政
彦根藩の初代藩主。小牧長久手で精鋭部隊・赤備えを率いて戦い、その猛将ぶりから「赤鬼」と一目置かれる武将になった直政。関ケ原の合戦でも直政の猛将ぶりは健在で、赤備えを従えて暴れまくったそうですよ。
画像:彦根駅(滋賀県彦根市)
山内一豊
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑に仕えた山内一豊。関ヶ原では東軍に加勢し、武功を称えられた一豊は土佐一国を拝領しました。高知城の正門に構える騎馬像は、今でも城下を見守っているように見えます。
画像:高知城(高知県高知市)
島津義弘
喧嘩をさせたら右に出る者はいないと恐れられた薩摩の鬼神こと島津義弘。少ない兵力で大軍に挑んだ木崎原の戦いや朝鮮出兵での泗川の戦いは歴史的な合戦として語り継がれています。関ヶ原での撤退戦も見事でしたね。
画像:伊集院駅前(鹿児島県日置市)
前田利家
14歳の利家。初陣に立つときの像ですが、初々しいながらも躍動感たっぷりで爽快です。ちなみに、この銅像の下には利家の妻・まつの像もあり、利家の初陣を見守る姿が印象的ですね。
画像:荒子駅(名古屋市中川区)
利家・まつを祀る尾山神社。境内には「槍の又三」と恐れられた利家の勇ましい騎馬像が立ち、猛将であったことが表情から感じ取れます。背中にある大きな丸いものは母衣(ほろ)。
流れ矢から身を守るために背中かぶせた布。文献によると、母衣を背に戦場を駆け巡った騎馬武者を母衣衆と呼んだそうで、戦いながら戦況や陣の統制を連絡する役目も担っていたとのこと。
たとえば織田家なら、佐々成政が指揮を執る黒母衣衆がおり、利家が指揮を執っていたには赤母衣衆でした。
画像:尾山神社(石川県金沢市)
前田利長
前田 利長は加賀藩の初代藩主。加賀前田家の2代目で、利家の長男です。幼名は犬千代。
その後、利勝から利長に名を改めたのは27歳の頃。戦国期は織田・豊臣に仕え、関ケ原の戦いでは"お家騒動"を乗り越え、江戸時代に入ると持ち前の辛抱強さと才覚で加賀藩の礎を築きました。
画像:高岡古城(富山県高岡市)
最上義光
躍動感がビンビン伝わってくる最上義光の騎馬像。伊達政宗の叔父であり、山形藩の初代。山形城(最上義光歴史館)に立つ義光の像は、上杉(景勝)軍が攻めてきたときに自らが先陣をきって向かっていく勇姿を再現したものと言われています。
画像:山形城(山形県山形市)
画像:山形城(山形県山形市)
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