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幕末のキーポイント!「尊王攘夷」や「公武合体」って何?(後編)

幕末のキーポイント!「尊王攘夷」や「公武合体」って何?(後編)


画像:安藤信正公之像(松ヶ岡公園)

幕末の日本は、尊王攘夷派=「天皇」を敬い「外国を敵視する」派閥と、「幕府」寄りの派閥が互いに主張し合っている状況でした。天皇を中心とした国家づくりと、幕府を中心とした国家づくり、2つの思想がぶつかり合っていたのです。

そこに安藤が和宮様と家茂の結婚を実現し、「公武合体」を推し進めようとしたことで尊王攘夷派の反感を買い、それまで外国を敵視していた尊王攘夷派でしたが、「排除すべき敵は幕府」という考え方に変わっていきます。

※公武合体・・・天皇と幕府が協力し合って政治を行うという思想

幕末の日本に存在した2つの思想

 

幕末の主な出来事を時系列で確認すると、

1853年7月 浦賀に黒船来航
1858年6月 ほぼ独断で井伊直弼が日米修好通商条約を締結。徳川家茂を14代目の将軍に決定
1858年9月~1859年 安政の大獄
1860年3月 桜田門外の変で井伊直弼が暗殺される
1861年10月 安藤信正の進言により、公武合体の名目で和宮様と家茂が結婚(和宮降嫁)
1862年1月 坂下門外の変で安藤信正を襲撃
1862年8月 薩摩藩の島津久光が江戸からの帰路、イギリス人4名のうち3人を殺傷(生麦事件)
1863年3月 新撰組が結成される
1863年5月 長州藩が下関でアメリカとフランスの船を砲撃(下関事件)
1863年7月 生麦事件の報復としてイギリス艦隊7隻が鹿児島を砲撃(薩英戦争)
1863年9月 薩摩・会津の公武合体派が、長州藩ら尊王攘夷派を京都から追放(八月十八日の政変)
1864年7月 池田屋に潜伏していた長州藩ら尊王攘夷派と土佐藩を新撰組が襲撃(池田屋事件)
1864年7月 京都御所で長州藩の志士が薩摩・会津・桑名藩の兵と交戦し、敗走。 禁門(蛤御門)の変
1864年8月 禁門の変に対する制裁として幕府軍が長州を攻め、降伏させた。(第一次長州征討
1864年8月 下関事件の報復として英・仏・米・蘭の連合艦隊が長州藩の戦艦を砲撃(下関戦争)
1866年1月 坂本龍馬、中岡慎太郎、小松帯刀の仲介で薩長同盟が成立
1866年6月 第二次長州征討。長州藩の勝利
1867年10月 大政奉還
1868年1月 王政復古の大号令
1868年1月 明治政府軍と旧幕府軍の戦闘が勃発(戊辰戦争
1868年5月 西郷隆盛と勝海舟の会談により幕府は江戸城を明治政府に明け渡す(江戸無血開城
1869年6月 戊辰戦争の終結。明治時代の幕開け

1853年の黒船来航から1869年の戊辰戦争までの16年間、尊王攘夷の思想をもった水戸藩の反対運動をきっかけに長州藩の急進派が活動的になり、やがて時代は「倒幕」へと変化していきます。

そして、265年にわたり続いた徳川幕府=江戸時代は消滅し、新政府=明治時代が訪れるのです。その過程において「尊王攘夷」「公武合体」、2つの思想をもった派閥については理解しておきたいところですね。

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