画像:2018年アントニオ猪木カレンダー(アートプリントジャパン)
1953年2月28日に国会議事堂で歴史に残る”珍事件”が起きた。歴代48人目の内閣総理大臣である吉田茂が、衆議院予算委員会で西村栄一議員に対して「バカヤロー」と暴言を吐いた事件。
アントニオ猪木じゃ、あるまいし・・・。そういえば、アントニオ猪木も議員だったな。そんな話はさておき、今回は「政治家の失言」をテーマに歴史上の出来事を紹介したいと思う。
吉田茂といえば義理の祖父が大久保利通にあたり、孫は92代目の内閣総理大臣・麻生太郎という生粋の政治家。鳩山一郎や農務省大臣の広川弘禅を育てた政治家としても知られている。
初代の内閣総理大臣は伊藤博文だが、大久保利通は実質的に政権を握っていたとされる人物。その血筋をひく吉田茂だが、この思わず口にした「バカヤロー」が前代未聞の波乱をまねくことになる。
首相、渾身の「バカヤロー」
国会という公の場での「バカヤロー」がきっかけとなり、1953年3月14日に衆議院は解散。
そのため、この解散は「バカヤロー解散」と言われており、「バカヤロー」と吐いた経緯は次のとおり。同年2月28日に行われた衆議院予算委員会で西村栄一議員が発した言葉が発端だった。
画像:吉田茂(憲政資料室収集文書-歴代首相写真-国立国会図書館)
西村栄一議員が「国際情勢について日本の総理大臣として答弁してもらいたい」という皮肉たっぷりの質問に対し、吉田首相は自席に座ったまま「無礼なことをいうな」と口走る。
そこで西村議員も怒って「なにが無礼なんだ?」と言い返す。すると、これに負けじと吉田首相がカッとなって「バカヤロー」と暴言を吐いてしまったのである。
失言の責任を問われると後に吉田首相は謝罪したが、これを野党は見逃さなかった。社会党は3月2日に吉田首相の懲罰動議を提出し、191対162で前例の無い首相の懲罰動議が可決されてしまう。
この動議に鳩山一郎派の37名と広川弘禅(ひろかわこうぜん)派の30名が欠席しており、この広川派の反旗で農相広川弘禅は罷免され、吉田派と鳩山派の派閥争いも激化していく。
やがて野党3会派による吉田内閣の不信任案が提出された。3月14日、鳩山・石橋・河野・三木ら22名は自由党を脱党し、不信任案は229対218で可決される。
吉田首相は憲法第69条に従って同日に衆議院を解散した。
吉田茂の国会での暴言は記録として残っており、「国会議事録検索システム」で当日の衆議院予算委員会でのやり取りを議事録(会議録)で知ることができる。
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