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ガッカリするけど読めば"タメ"になる戦国合戦の「ウソ」と「ホント」

ガッカリするけど読めば"タメ"になる戦国合戦の「ウソ」と「ホント」

ガッカリするけど読めば"タメ"になる戦国合戦の「ウソ」と「ホント」
画像:大阪夏の陣立体絵巻(浜松美術館)

日本史の中でも幅広い層から人気の高い戦国時代。甲冑や日本刀、騎馬隊や鉄砲隊、城や合戦など、まさに戦国時代は"ロマン"の宝庫で、戦国ファンなら誰でもお気に入りの武将が一人はいるでしょう。

ドラマや映画、マンガなどで描かれる戦国時代は創作物ですから多少なりとフィクションも入っていますが、ガッカリなのは歴史書や通説にも少なからずフィクションが存在しているということ。

今まで正解だったことも実際には間違っていたり誤解だったり、はたまた根底から覆すような嘘だったり、今回は戦国時代の通説に隠れている「ウソ」と「ホント」を紹介したいと思います。

戦国時代の鎧と兜のウソ

ガッカリするけど読めば"タメ"になる戦国合戦の「ウソ」と「ホント」

画像:左 阪本俊光・画「大鎧」(日本出版美術家連盟)
画像:右 島津家伝来の紫糸威鎧「大鎧」(東京国立博物館)

戦国時代と聞いてイメージするのは屈強な鎧を身にまとって戦場を駆ける勇ましい武将の姿ではないでしょうか。しかし、マンガや五月人形などで見る甲冑は「大鎧」と呼ばれるもので、戦国時代の武士は着用していません。

大鎧は平安時代から鎌倉時代の甲冑で、戦国時代は「当世具足」と呼ばれる鎧を着用していました。当世とは近代的という意味で、戦国時代になると刀や槍など武器の使用に合わせて動きやすい身軽な防具へと変わりました。

ガッカリするけど読めば"タメ"になる戦国合戦の「ウソ」と「ホント」
画像:戦国時代の当世具足

そして、かなりガッカリする事実が武将の兜に付いている「立物」のこと。

たとえば、直江兼続の兜であれば「愛」の飾り(立物)が有名ですし、伊達政宗の兜には大きな「三日月」の飾り、真田幸村は「六文銭に大きな鹿角」など、武将によって様々な立物がありますよね。

しかし、これらの立物は美術性を重視して江戸時代に作られた「変わり兜」と呼ばれるもので、実際に戦国時代の武将が用いた確証はないようです。つまり、江戸時代の職人が作った鑑賞用の兜ということ。

戦国時代の合戦では実戦的な防具が重視され、甲冑も大鎧から当世具足に変化しています。それなのに、兜だけ豪華で派手、しかも重いなんて効率の悪いことはしないわけで・・・

さらに、立物(兜の飾り)が派手で目立てば「俺が大将だ!かかって来い」とアピールしているのと同じで、わざわざ大軍を引き連れて合戦する必要もないのです。大将の首を討ち取ったら、ほぼ合戦は終了ですからね。

結果、戦国時代の甲冑や兜は地味で、より実践的な軽い防具だったということになります。

武将クラスが軽装なんで、第一線で戦う足軽や弓矢隊といった兵士はもっと軽装だったようで、腹当て(胴)と脚絆(脛に巻く布)だけで出陣する兵も珍しくなかったといいます。

戦国時代の鉄砲隊は槍や弓矢の補助?

ガッカリするけど読めば"タメ"になる戦国合戦の「ウソ」と「ホント」
画像:ぎふ信長まつり「鉄砲隊・模擬射撃の実演」(岐阜市観光課)

まず、鉄砲隊が主流になる前の戦国時の合戦における武器の有効性は、「弓矢」による死亡・負傷が全体の40%を占め、次に「鉄砲」が20%、「槍」での死亡・負傷が全体の18%で、「刀」による死亡・負傷は10%に満たないです。

1位 弓矢・・・およそ40%
2位 鉄砲・・・およそ20%
3位 槍・・・およそ20%
4位 病気・餓死その他・・・およそ10%
5位 刀・・・およそ10%

そして、鉄砲隊が合戦に導入されると、銃弾を受けて死亡・負傷する割合が最も多くなります。では、戦国時代の鉄砲とは、どのような性能を備えていたのでしょうか。

まず、飛距離に関しては火縄銃の「種子島」が200メートルの射程距離で、40~50メートルほどの距離から撃てば甲冑を貫通し、相手を殺傷できたようです。火縄銃と弓矢を比較すると、格段に性能の違いがわかります。

弓矢の射程距離が50~60メートルほどで、相手を殺傷するために確立を高めるなら10メートル、遠くても15メートルが限界。つまり飛び道具といえど、弓矢は近距離で使用する武器だったわけです。

しかし、性能が高い火縄銃にも欠点があります。連発式の銃ではなく、一発撃てば次の弾を込め終わる(装填)までに30秒前後かかり、着火が必要なので雨の日や湿気が多い日は火が付きにくいので使用できませんでした。

また、照準もないのでテクニックが必須です。次の弾を込め終わるまでに30秒も必要なので、もし外してしまうと敵兵が近づいてきて長槍で一突き。まさに命がけの覚悟で引き金を引かなければなりません。

殺傷に必要な距離が50メートルの場合、一般の成人男性なら7秒前後(100メートルを15秒と計算)で走れる距離ですし、一発を外して次まで30秒というのは致命的ですね。

射程距離ギリギリの200メートルから撃ったとしても、外してしまえば足の速い命知らずの敵兵なら鉄砲隊に接近して襲撃できます。戦国時代の火縄銃には、手際の良さと命中させるテクニックが求められたんです。

事実、鉄砲が活躍した合戦もありますが、史料や歴史書を見る限り基本的には槍と弓矢での戦闘が主で、鉄砲は補助的な役割だった可能性が高いとされています。

外国から伝来したばかりで粗悪な銃も混ざっていたそうで暴発が起こるリスクもあり、さらに、装填までの時間や天候に左右されやすいなどデメリットを考えると鉄砲隊が主戦力だったとは考え難いわけです。

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