なんてこった!大坂の陣は徳川家康の「いちゃもん」から始まった?しかも2回も文句をつけた?
画像:徳川家康肖像(国立国会図書館)
1603年2月12日、徳川家康は伏見城で後陽成天皇の遣いが来るのを待っていた。
天皇から「征夷大将軍」の任命を受けるためである。豊臣秀吉の亡き後、関ケ原の合戦で勝利した家康は実質的に天下統一を果たしたようなものだった。
家康が「関白」ではなく「征夷大将軍」の地位を選んだのは、すでに関白の地位を授かっていた豊臣家(豊臣秀頼)との地位争いを避けるためとされている。
午前10時頃に天皇の遣い(勧修寺光豊)が到着すると、伏見城の庭で儀式が行われ、征夷大将軍に任命する天皇の宣言書が家康に渡された。
大坂の陣は家康の挑発が原因?
画像:世界遺産「二条城」本丸御殿(修理工事報告書8集より)
まず家康は、全国の大名に江戸城と市街地の造成を命じ、主従関係(俺がトップだ!)をはっきりとさせた。翌年1604年には国絵図と郷帳の作成を命じ、全国の領土を徹底的に管理する意向を示す。
それまでは各地域の大名が独自で管理していたので、これを家康が一括して把握することになるのだ。つまり、「お前の者は俺の者」的なジャイアンのような立ち位置を明確にした。
※国絵図・・・国単位の絵図。国を区切り、各国の領土を細かく区切った地図
※郷帳・・・国名・村名・村の収益を記した帳簿。田畑の状態や山林など詳細に記録した土地台帳
さらに、東海道や中山道などの主要街道を整備し、京都・伏見・大坂・堺・長崎の中心都市や港を幕府の領土と定め、石見・但馬・佐渡・伊豆の金、銀山も幕府の直轄地とした。
しかし、家康には解決しなければならない問題があった。豊臣家に仕える大名や武家も既存しており、徳川幕府に反抗的な態度をとる者もいたのだ。全国統一を目指す家康にとって厄介な問題。
ほかにも問題があった。関ケ原で西軍に味方した武家たちが豊臣家の復活を願っており、大阪城に集まって不穏な動きを見せていたのである。やはり、豊臣家の存在は目障りだったに違いない。
もちろん、この動きに家康は気づく。家康は秀頼を二条城に呼び出し、「徳川幕府に従うように大阪城に集まっている人たちに言ってよ」と打診するが、秀頼は好意的な態度を示さなかった。
このとき、秀頼は19歳。母親である淀殿の言いなりで、「私たちのほうが偉いんだから言うことなんて聞かなくていいの」と言われており、秀頼は家康に従うことなく大阪城へ戻る。
当然、家康はご立腹。「なんだ、あの態度は。あのガキ、ナメとるな」と。いっそのこと豊臣家を潰してしまおうとも考えたが、理由もなく合戦を起こすと天皇や大名たちが不信感を抱いて面倒なことになる。
そこで家康は考えた。何か”理由”をつくって豊臣家を滅ぼそう、と。そのシナリオとして選んだのが「方広寺の鐘」。俗に言う、1614年「方広寺の鐘銘事件」である。
方広寺の鐘銘事件
画像:方広寺「国家安康君臣豊楽」の釣鐘
豊臣家がリフォームした方広寺の釣鐘には「国家安康」「君臣豊楽」と書かれており、この文字が「家康を倒せば国が安泰する」「豊臣家を繁栄させよう」という意味がある、と秀頼に”いちゃもん”(文句)をつけたのである。
「おい秀頼、方広寺の鐘に書いた文字は何だ?」
「家康さん、国が繁栄しますよう、にって意味だよ」
「いや、あれは豊臣家バンザイ、家康クタバレという意味だろ」
「なに言ってんだよ、おっさん。天下取りたいのは見え見えなんだよ」
「お前、俺と戦う気か?許してやるから釣鐘を処分しなさい」
「だからさ、違うって言ってるんだから捨てる必要ないよね?くどいよ」
「貴様、ナメとるな。死ぬ覚悟で言ってるのか」
「いいでしょう!自分は天皇から認められた豊臣家のトップですよ?」
「だから、なんだ?俺も征夷大将軍の職を天皇から授かっている」
「あっ、そ。」
「おい、坊主。マジで潰すぞ?」
「じゃ、合戦の準備しときますね」
というような具合で話し合いは決裂し、家康は「打倒!豊臣家」を掲げて全国の大名や武家に召集をかけた。そして、大坂の陣1回目の合戦となる大阪冬の陣が開戦する。
大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす
画像:戦前の大阪城天守閣(大阪府立図書館)
1614年11月19日に大阪城と大阪城の周辺で合戦が始まり、徳川軍と豊臣軍で攻防戦が繰り広げられた。第1回目の大阪冬の陣である。
しかし、しばらくして、長期戦になることを嫌った家康は豊臣家に和解を申し出る。ただ単に休戦が目的ではない。これは家康の作戦であった。
大阪の兵量(食べもの)を豊臣軍が買い占めていたので戦いが長引くと家康は不利な状況になる。和解という名の”再準備”が狙いだった。
豊臣軍も多大なダメージを受けており、この和解は有難かった。だが、和解するには家康から提示された条件を了承しなければならなかったので、和解が成立するまでに16日の期間を要している。
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