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遷都1426年の歴史を学ぶ!なぜ「東京」が「日本の都」になった?(前編)

遷都1426年の歴史を学ぶ!なぜ「東京」が「日本の都」になった?(前編)


画像:平城遷都1300年記念事業の公式マスコット(奈良市)

日本の歴史を学ぶうえで避けては通れないテーマが「遷都(せんと)」です。

遷都とは、首都を他の地域に移すこと。ちなみに、日本の首都は東京という認識が一般常識になっていますが、実は、日本の首都を定める法律や公文書は存在していません。

つまり、「日本には首都が無い」のです。

その代わり、「首都圏」については法律で定められています。首都は確定していないけど首都圏の定義は明確に決められている・・・って、なんだか不思議な話ですよね。

参考:首都を定める法律「法制執務コラム」NO.288(参議院法制局)
http://houseikyoku.sangiin.go.jp/column/column081.htm

  日本の都が始まった場所


画像:厩戸皇子-聖徳太子之像(法隆寺聖霊院所蔵)

日本の首都は法律で確定されていませんが、古来より日本は政治の中心地を「都(みやこ)」と呼んでいました。それ以外にも、「京」と書いて「みやこ」と呼ぶ場合もあります。

現在は内閣が政治を行っていますが、明治元年(または慶応4年)以前は天皇が政治の中心でした。そのため、天皇の住まいがある地域を都として定めてきました。

もちろん、このルールは今でも変わっていません。天皇の住居が変わる→政治の中心地が移動する→その地域に都を移す、これが「遷都(せんと)」の仕組みです。

では、都の生誕地は何処でしょうか。さかのぼること1426年前の飛鳥時代。

西暦592年、崇峻(すしゅん)天皇の居住地として飛鳥(奈良県高市郡明日香村)を整備し、政治の中心地と定めたことから飛鳥が都となり、「飛鳥京」と名づけられました。

西暦593年には聖徳太子が摂政(天皇家の重職)に任命され、西暦694年、持統天皇が藤原(奈良県橿原市醍醐町)に居住を移したことで飛鳥京から「藤原京」へ遷都しています。

<遷都の年表>

●592年~ 飛鳥京(崇峻天皇~天武天皇)飛鳥時代
●694年~ 藤原京(持統天皇~元明天皇)飛鳥時代
●710年~ 平城京(元明天皇~桓武天皇)奈良時代
●784年~ 長岡京(桓武天皇)奈良時代
●794年~ 平安京(桓武天皇~明治天皇)平安時代
●1868年~ 東京(明治天皇~今上天皇)明治時代~平成

遷都の歴史を地域別で表すと、
その1 日本で初めて都が置かれた場所が「奈良」で、
その2 長岡京に遷都されて「京都」に都が移り、
その3 1868年に明治天皇が京都から江戸へ移住して「東京」が都となりました。

そして、明治が天皇が拠点とした京都の住居が「京都御所」、東京の住居は宮内庁が管轄する「皇居」。なお、皇居は江戸城の跡地に建っており、敷地内にある「東宮御所」には皇太子が住んでいます。

  東京が日本の都になった日


画像:魁斉芳年作「武州六郷船渡圖」明治天皇の東京行幸(新潮社-日本精神講座-第一巻)

歴史関連の老舗出版社・吉川弘文館が発刊している「世界史年表」に、明治維新(1868年)の出来事として「東京遷都」という記録が残っています。

新政府による戊辰戦争の事後処理が終わると、1868年9月3日に明治天皇は「江戸ヲ称シテ東京ト為ス(江戸を東京に改名する)」と発令し、「今後は東京で政治を行う」と宣言しました。

11月26日には京都から東京へ引っ越し、江戸城も東京城に改名しています。1869年1月20日、還幸という名目で明治天皇は京都に向けて東京を出発。

この還幸にあたり、東京市民が「本当に帰ってくるの?」と不安を抱かないように、東京城の本丸跡に皇居(宮殿)を造設すると公表してから出発しました。

要するに、京都に行くのは還幸であり、東京に還御することを約束したわけです。いずれも最上級の丁寧語ですが、意味が全く異なるので国民に与える安心感も大きかったと言えますね。

※還幸・・・天皇が出先から戻ること
※還御・・・天皇が皇居に帰還すること

それ以降も明治天皇は行幸や巡幸で京都と東京を行ったり来たりしますが、11月27日には完全に住居を京都御所から東京の皇居に移し、東京が日本の都として認識されるようになりました。

当時も「日本の都」を定める正式な発表や法律はなく、昭和が過ぎ、平成になっても日本の首都は法律上で明確にされていません。ちなみに、アメリカは首都をワシントンD.C.と法律で定めています。

明治時代、「東京に皇居があるから日本の都」という国民の共通認識が現在も引き継がれているのです。よって、東京が都になった日は、1869年11月27日と答えるのが妥当ではないでしょうか。

※行幸・・・天皇が外出すること
※巡幸・・・天皇が複数の目的地を行幸すること

  なぜ「東京」と名付けた?


画像:皇居内にある宮殿-長和殿(宮内庁)

明治時代が始まる前は京都が日本の都であり、京都は「京」と「都」の2つから成り立っています。どちらの字も「みやこ=首都」を表し、「日本の首都は京都だ!」という強い想いが込められているわけです。

前述したとおり、古来より日本は政治の中心地を「都(みやこ)」と呼んでいましたが、飛鳥時代から平安時代には「京」と書いて「みやこ」と読んでいました。

明治の新政府は徳川幕府が制定した幕藩体制を取り消すために廃藩置県を行い、それまで各地に点在していた藩を廃止し、各地の地名を新しく県や府に変更します。

たとえば、江戸時代まで愛知は尾張国という地名で尾張藩や犬山藩など点在しており、それらの藩は廃藩置県で消滅し、1872年1月5日に尾張国を名古屋県へ変更しています。

現在の愛知県になったのは1872年5月2日です。江戸も同じように藩を廃止し、1868年9月3日に明治天皇は「江戸ヲ称シテ東京ト為ス(江戸を東京に改名する)」と宣言しました。

では、なぜ「東京」という地名に決定したのでしょうか。東京は読んで字のごとく「東の京(みやこ)」という意味。廃藩置県によって、1872年12月25日には「東京府」へ変更しました。

同じく、京都にも府を付けて「京都府」に改名。1896年に東京府は「東京都」へと改名されましたが、「東の京都(みやこ)」という意味を表す結果となりました。

こうして見ると、京都への対抗心や同等を狙ってネーミングしたかのようにも思えますが、「東京都」の由来が意図的なのか偶然の産物なのかは定かではありません。

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