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織田信長の死に隠された10の謎。戦国史もっともミステリアスな「本能寺の変」の真実(前編)


画像:本能寺焼討之図 楊斎延一画(名古屋市所蔵)

戦国史に残る最大のミステリー「本能寺の変」。明智光秀の動機や織田信長の遺体が発見されていないこと、本当は黒幕がいたのではないか、など幾つもの謎が重なっている出来事だ。

天下統一を目前に信頼を寄せていた部下・明智光秀の裏切りによって夢破れた信長。今回は、本能寺で起きた”信長の死”の謎を追いながら、戦国史に残る最大のミステリーをおさらいしてみよう。

信長の最後は?

カトリック教会の宣教師、ルイス・フロイスは「日本史」という記録を残し、その中で信長の最後について書いている。この記録は謎を解く重要な手掛かりとして有名だが、その一部をご紹介したいと思う。

明智の軍勢は御殿の門に到着すると守衛を殺し、本能寺の御殿には宿泊していた若い武士たちと奉仕する茶坊主と女たち以外には誰もいなかったので、明智軍の兵たちに抵抗する者はいなかった。

明智軍の兵士は敷地内に侵入し、手拭で身体をふいている信長を見つけ、躊躇なく信長の背中に矢を放った。信長はその矢を引き抜き、長槍のような長い刀で抵抗し、しばらく戦ったが腕に銃弾を受ける。

負傷した信長は室内に逃げ込み、戸を閉じて切腹し、生きながら焼死した。火事が大きかったので信長の遺体は発見されず、骨一本残さず消え去った。

と、記している。これは、フロイスが直接的に目撃した事実を書いているのではない。人から聞いた事柄を記録として記した、と述べており、つまり、実際のところ、どのように信長が死んだのかは分かっていない。

信長は護衛も少なく、明智軍に容赦なく攻撃を受け追い詰められ本能寺で焼死し、そのまま灰になって跡形もなく消え去ったというわけだ。やはり、謎のまま。

さらに、小瀬甫庵が記した「甫庵信長記」においても本能寺の変について書かれている。

御首を求めけれどもさらに見えざりければ、光秀深く怪しみ、最も恐れはなはだしく、士卒に命じて事のほかたずねさせけれども何とかならせ給ひけん、骸骨と思しきさえ見えざりつるなり

一般的な説では「遺体が見つからなかった」とされているが、いくら本能寺が大火事で焼失したと言っても、信長の焼死体が見つからないのは不思議な話で、つじつまが合わないというわけだ。

本能寺には火縄銃用の火薬が蓄えてあり、その火薬に引火して爆発したので信長の遺体が跡形もなく消えて確認できない状況だった、という説もあるが、これも疑問が残る見解である。

もし大爆発が起きたのであれば本能寺の近辺に大きな爆発音が響いただろうし、そうであれば信長の遺体は爆発で見つからなかったと記載する書があるはず。

ところが、フロイスや小瀬甫庵の文献、「当代記」や「言経卿記」など当時の歴史を記した書物には爆発に関する記録が一切ない。信長の最後を知る明智光秀は13日後に秀吉に討たれて死に、真実は闇の中に葬られたままだ。

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