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【歴史雑学】江戸時代は蚊を殺したら罪?水戸黄門はアクティブ?日本で初めてラーメンを食べたのは誰?

【歴史の雑学】水戸黄門はアクティブだった?日本で初めてラーメンを食べたのは誰?江戸時代は蚊を殺したら罪になった?


画像:勤皇文化振興会にて徳川光圀(池上秀畝木版画)

歴史って難しいとか堅苦しいイメージをもたれがちですが、面白いエピソードも意外と多かったりします。戦国時代や江戸時代、明治時代などジャンルを問わず歴史の側面には”小ネタ”が隠れているんです。

そこで今回は江戸時代の小ネタをテーマに、水戸黄門にまつわる話と3つの雑学を紹介したいと思います。役に立つ立たないは別として、歴史の楽しみ方を増やす参考にしてみてはいかがでしょうか。

  「水戸黄門」って何者?


画像:千波湖畔之徳川光圀公像(偕楽園)

時代劇でお馴染みの水戸黄門。助さん格さんを引き連れて日本各地を歩いて旅し、行く先々で悪党を退治する正義のヒーロー・・・そんなイメージが定着していますよね。

ところで、水戸黄門って何者なのかご存知ですか?

江戸時代は全国各地に「藩」があり、それぞれの藩には「藩主」と呼ばれる責任者がいました。藩主は、その領土の治安を守ったり政治を行ったり、今で言う知事や市長のような立場。

そして、江戸時代の茨城県水戸市は「水戸藩」が管理し、水戸藩の藩主は「徳川光圀(水戸光圀)」でした。もうお分かりかもしれませんが、この人が後の水戸黄門です。

  徳川光圀はアクティブだった?


画像:土佐光起作-徳川綱吉之画(徳川美術館蔵)

光圀は徳川家康の孫にあたる人物。幼い頃は悪ガキで、18歳になるまで派手な格好をしたり行儀が悪かったりして「かぶき者(変わり者)」と呼ばれていたとか。

しかし、光圀は19歳の頃から学問に励んで才能を開花させます。父の徳川頼房の跡を継いで2代目・水戸藩主になると、「天下の副将軍」とまで認められるほどの実力者になりました。

江戸時代の中期、5代目将軍の徳川綱吉(とくがわつなよし)が奇想天外な命令を出します。それは、「生きものを殺してはいけない」という命令でした。

単なる動物愛護ではなく、綱吉は「虫一匹殺してはいけない」という法律を決めたのです。1680年に全国各地で開始された「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」です。

この法律は農民の暮らしに大きな障害をもたらすことになります。まず、魚や鶏を食べることもできませんし、馬に乗ることも許されません。なかでも、特に厳しかったのが「犬の世話」。

綱吉の干支が戌年(いぬどし)ということもあり、犬の保護をする役職まで設けられたのです。「野良犬がいれば介護して」「犬が喧嘩していれば仲裁に入ること」といった命令が町中に下されました。

これを知った光圀は、わざと見せつけるように綱吉の前で羊や鹿、豚肉などを食べて抵抗しました。

光圀は何度となく生類憐みの令を取り消すよう綱吉を説得しますが、取り消すことはありませんでした。一説によると、光圀は犬の毛皮を綱吉に20枚送りつけたという逸話もあります。

それでも綱吉は生類憐みの令を取り消すことはなく、綱吉が死去したあとに撤廃されました。

説得できなかったとはいえ、光圀の行動は町人に知れ渡り「水戸の2代目は農民の味方じゃ」と噂になったとか。光圀は、アクティブで積極的な性格だったようですね。

  水戸黄門は全国を旅していない?


画像:水戸光圀公之像(水戸市-水戸駅)

綱吉の死後、光圀は「大日本史(歴史書)」を制作するために徳川という身分を隠して情報収集の旅に出ます。この情報収集の旅が、時代劇・水戸黄門のもとになっているわけです。

ただし、時代劇では全国を旅して回るストーリーでしたが、光圀が実際に行動した範囲は一番遠くて神奈川県。計9回の旅に出ていて、鎌倉までの225キロメートルの旅が最長だったようです。

光圀が作り始めた大日本史は、光圀の死後、明治時代に完成しました。大日本史は年表や文献、教科書などをつくる際の参考にされ、大日本史の完成は光圀を代表する偉業の一つと言えるでしょう。

<光圀が歩いた距離と訪れた地域>

1回目・・・江戸~日光東照宮まで130km
2回目・・・江戸~筑波山~水戸まで91km
3回目・・・江戸~勿来関~水戸まで210km
4回目・・・水戸~鎌倉まで225km
5回目・・・水戸~藤代~江戸まで80km
6回目・・・江戸~藤代~水戸まで80km
7回目・・・江戸~板久~水戸まで112km
8回目・・・西山荘~江戸まで98km
9回目・・・江戸~銚子~水戸まで165km

  日本で初めてラーメンを食べたのは光圀だった?


画像:水戸光圀之肖像(京都大学付属図書館)

町を歩けば目にするラーメン屋。今では当たり前の国民食ですが、実は日本で初めてラーメンを食べたのは光圀=水戸黄門だったという逸話があるんです。

光圀は中国の学者「朱舜水(しゅしゅんすい)」から麺の作り方を教わり、1697年の初夏、家来に食べさせたと言われています。

そのときのレシピは、まずレンコンのデンプンを乾燥させた粉で平打ち麺を作り、スープの出汁は中華ハムのような食材。うどんに似た太めの麺で、塩味のスープだったそうです。

薬味として添えられていた具材は、ショウガ、ニンニク、ニラ、ネギ。水戸市では光圀のラーメンを再現して販売しているラーメン店もあるらしいので、ラーメン通であれば一度は食べてみたい一品ですね。

さて、徳川光圀にまつわる話を紹介しましたが、水戸黄門が”どんな人”だったのか少しは参考になったでしょうか。ここからは”おまけ”として、江戸時代にまつわる雑学を少し紹介したいと思います。

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