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信長公記・6巻その4 「刀根坂の合戦」

信長公記・6巻その4 「刀根坂の合戦」

信長公記・6巻その4 「刀根坂の合戦」
画像:朝倉義景の肖像(大圓山 心月寺)

朝倉の攻略

1573年9月8日(天正元年)、信長の配下に下った(内通を申し入れてきた)浅井長政の家臣・浅見対馬は、小谷山(滋賀県長浜市湖北町伊部)の焼尾砦に織田軍を引き入れた。

雨風が激しい夜だったが、信長は虎御前山(滋賀県東浅井郡)の本陣に息子の信忠を残し、馬隊を率いて大雨の中を進軍して小谷山に向かった。

小谷山には朝倉義景の家臣である小林六左衛門、斉藤刑部少輔、豊原寺西方院が500の兵で立て籠もっていたが、信長が自ら指揮を執って攻め寄せると戦意を失い、敵方の三将は降伏した。

しかし、この敗北に朝倉は気づいていない可能性が高かった。速やかな夜間の襲撃ということもあったが、闇夜に加えて強い雨風も吹き付けていたので朝倉からは容易に確認するのが難しかったのである。

そこで信長は、降伏した敵兵や三将を討ち取ることはせずに朝倉の本陣に退却させ、織田軍の襲来により小谷山を守り切れなくなったという報告を朝倉義景に伝えさせた。

信長は大嶽(長浜市湖北町伊部)に不破光治、不破直光、塚本小大膳、丸毛長照、丸毛兼利を配置させ、直ちに平泉寺の玉泉坊(朝倉に加勢していた僧侶)が身を隠していた丁野山(長浜市湖北町丁野)に攻撃を仕掛けた。

速やかに玉泉坊は降伏した。大嶽と丁野の砦を落とした信長は朝倉が今晩のうちに退却すると予測していた。そのことを朝倉の陣営近くに待機していた織田軍の先鋒隊に伝え、朝倉を逃がさないようにしろと強く命じた。

しかし、信長は焦りと苛立ちを抑えきれず、自らが指揮を執って9日の夜に朝倉の陣営に攻め入った。

信長は朝倉の陣営近くに待機していた柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)、丹羽長秀、蜂屋頼隆、氏家直通、稲葉一鉄、稲葉貞通、稲葉典通、安藤守就、蒲生賢秀、蒲生氏郷、永田刑部少輔、永原筑前、多賀新左衛門、進藤山城守、阿閉貞征、阿閉孫五郎、山岡景隆、山岡景宗、山岡景猶、弓徳左近らに朝倉への出撃を命じていたが、それら武将たちは機会を見定めて出陣していなかった。

しかし、信長が出陣したという知らせを聞き、信長の後を追うように慌てて進軍し、地蔵山(長浜市木之本町)で信長と合流した。信長は到着した武将らを「強く命じたのに出撃しないとは何事だ!この出来損ないの集まりが!」と激しく怒った。

刀根坂の合戦

信長公記・6巻その4 「刀根坂の合戦」
画像:一乗谷朝倉氏遺跡(福井市城戸ノ内町)

信長に叱責を受けた丹羽や柴田、羽柴や稲葉、滝川や蜂屋など武将らは直ちに信長へ詫びを入れたが、ただ一人、佐久間信盛は涙目になりながら「確かに出遅れましたが、我らのように忠実な家臣は他にいませんよ!」と抗弁した。

これに信長は佐久間に激高し、「お前は俺に己の器量を自慢したいのか?バカバカしくて相手にするのも疲れるわ」と苛立ちを露わにした。その一方で織田軍は奮戦し、朝倉軍に猛攻をかけて大きな成果を挙げていた。

劣勢を強いられた敵兵は中野河内口(長浜市余呉から栃ノ木峠を越えて福井県越前市へ入る道)と刀根山口(長浜市木之本町から刀根山を越えて福井県敦賀市へ通る道)の二手に分かれて撤退していった。

織田の武将らは中野河内口と刀根山口どちらを追うべきか意見を交わしたが、信長は「疋田や敦賀には朝倉や浅井に加勢する者たちの城がある。ならば刀根山口に向かって疋田を攻めるぞ」と指示した。

その予想は的中し、朝倉義景をはじめ朝倉家の武将らは兵を率いて刀根山口から敦賀に向かって退却していた。織田軍は朝倉軍を追尾して刀根山の頂(刀根坂)で交戦し、次々と敵兵を討ち取っていった。

刀根山から敦賀まで41キロメートルに及ぶ追撃戦を行い、3000を超える朝倉の兵を討ち取った。

討死にした朝倉の家臣には朝倉治部少輔、朝倉掃部助、朝倉権守、朝倉土佐守、細呂木治部少輔、土佐掃部助、三段崎六郎、山崎新左衛門、山崎七郎左衛門、山崎肥前守、山崎自林坊、河合安芸守、青木隼人佐、中村五郎右衛門、中村三郎兵衛、中村新兵衛、長嶋大乗坊、和田九郎右衛門、和田清左衛門、疋田六郎二郎、小泉四郎右衛門、鳥居与七、窪田将監、託美越後、伊藤九郎兵衛など多数の武将がいた。

また、朝倉に加勢していた斎藤龍興も討ち取られた。このとき、織田の不破光治の家臣である原野賀左衛門が朝倉の印牧弥六左衛門を捕らえ、信長の前に差し出した。

信長は「私に忠誠を誓って織田の配下になるなら命は助ける」と印牧に申し入れたが、印牧は「心遣いは有難く頂戴するが、そんな命乞いするような見苦しい行為(まね)はできない」と丁重に断り、これを信長は許し、印牧は自害した。

この戦いで落ちた朝倉方の城は義景が本陣を構えていた田上山(滋賀県大津市)や疋田(福井県敦賀市)、賎ヶ岳(滋賀県長浜市)をはじめ、大嶽、丁野山、月ヶ瀬、焼尾、田部山など多くが落城した。

信長公記・6巻その4 「刀根坂の合戦」
画像:足半

信長は普段から足半(あしなか。通常より小さいサイズの草履)を腰に下げているが、刀根山の合戦で織田軍の兼松又四郎は敵兵を追って刀根山の山中を駆け回り、討ち取った首を持って信長の前に現れたときに兼松の履物は破けて足は血で染まっていた。

兼松の足を見た信長は腰に下げていた足半を外し、「これが役に立つ。遠慮するな」と言って与えた。刀根山の合戦で織田軍は大勝を収め、9月10日から12日にかけて敦賀まで進んで滞在した。

そして、朝倉方で降伏した者たちから人質をとり、13日に木目峠(木ノ芽峠。福井県南越前町と敦賀市にまたがる山)を越えて越前国(福井県越前市)に進軍した。

14日には竜門寺(福井県武生市)まで進軍し、陣を構えた。織田軍の猛進を知った朝倉義景は居城である一乗谷を捨てて六坊賢松寺(福井県大野市)で身を隠した。

信長は氏家直通、稲葉一鉄、柴田勝家、安藤守就らの武将を平泉口(福井県勝山市平泉寺町)に向かわせて義景を追わせた。そして、各所に逃避する朝倉の兵を討ち取った。

しばらくして平泉寺の僧侶や坊主らが信長に降伏し、寺を明け渡した。もはや義景の敗北は決定的で、朝倉が最期を迎えるまで時間の問題だった。

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