歴史ハックが選ぶ「日本の転換期」となった出来事・近代史ベスト5
10万年前の石器時代に始まり、縄文、弥生、古墳時代を経て飛鳥から奈良時代、平安、鎌倉、室町から安土桃山時代、江戸、明治、大正、昭和を経て、平成から令和になった2019年。
いくつもの転換期を迎えて今の日本が存在しているわけですが、日本史を辿ると「日本の行く末を左右する重要な出来事」を学ぶことができます。
そこで今回は、「日本の転換期」となった出来事を独断で5つ抜粋しました。その出来事がなかったら今の日本とは違っていたかもしれないと思う度合いでランキングしています。
5位 黒船の来航
画像:1843年製造のサラトガ号(幕末明治大正「回顧八十年史」)
江戸時代の終焉となる「幕末」の引き金となった1853年の黒船来航。大砲(空砲)を打ち鳴らしながら突如として浦賀沖(神奈川県横須賀市)に現れた4隻の戦艦に江戸の町人たちは驚きました。
司令長官のマシュー・ペリーが13代目アメリカ合衆国大統領(ミラード・フィルモア)から預かった国書を幕府に提出し、開国(開港。アメリカとの交易)を要求。
このときの交渉は不成立(幕府が考える時間が欲しいと返答)で終わりましたが、翌年に再びペリーが7隻の艦隊を率いて来航し、およそ1か月の協議を経て日米和親条約を締結しました。
全12条から成る日米和親条約により、幕府は下田(静岡県下田市)と函館(北海道函館市)の開港を承諾。アメリカに有利な条約であることから、別名"不平等条約"とも言われていますね。
およそ200年続いた鎖国が終わり、それを皮切りに8月にはイギリス日栄和親条約を締結。12月にはロシアと日露和親条約を締結することになります。
そして、1856年にはアメリカと日米修好通商条約を結び、このとき幕府・大老の井伊直弼が独断で締結をしたことで攘夷派(外国との交流を拒否する派閥)の反感を買ってしまうのです。
ここから一気に幕府と攘夷派の対立が強くなっていきます。いわゆる幕末の始まりです。
攘夷派を弾圧(安政の大獄)を推し進めた井伊直弼が暗殺され(桜田門外の変)、薩長同盟によって幕府が窮地に追いやられ、徳川慶喜が天皇に政権を返上し(大政奉還)、王政復古の大号令を経て戊辰戦争が勃発。
幕府が新政府(明治政府)軍に破れ、265年続いた徳川幕府(江戸時代)が終焉し、1868年に明治時代が幕を開けました。
江戸時から明治時代への移行を加速させた黒船の来航は、間違いなく日本の分岐点となった重大な出来事でしょう。もし鎖国が続いていれば、日本史の流れは大きく変わっていたかもしれません。
4位 鎌倉幕府の成立
画像:源頼朝(和漢名画選)
1159年、源頼朝は父の義朝と共に平清盛と戦いますが敗北し(平治の乱)、義朝は尾張国(愛知県)で謀殺され、頼朝は伊豆国(静岡県伊豆半島)へ配流(流刑)となりました。
しかし、平家が治める政権に不満を抱く武士らが頼朝のもとへ集結し、1180年に伊豆国で挙兵。1181年には清盛が病死し、頼朝は1183年に坂東(東国。関東・東海・甲信の総称)を平定します。
この年、頼朝は木曾義仲(源義仲)と対立し、一度は和議を結ぶも再び両者の関係は悪化し、粟津の戦いにて頼朝が義仲を討伐。
1185年に壇ノ浦の戦い(源平合戦)で源氏が平氏を滅ぼし、頼朝は従二位(日本の位階。身分や位の高さを示す。30位のうち上から4位の階級)を朝廷から授かります。
同年、頼朝は守護・地頭を設置する権利を朝廷から与えられ、武家による全国統治が始まり(武家政権の誕生)、この時点をもって鎌倉幕府が成立しました。
1192年に頼朝は征夷大将軍に任命されると源将軍家を軸とした武家政権は強固なものとなり、以降、鎌倉幕府は148年にわたり続くこととなります。
従来は頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年が鎌倉幕府の成立時期とされてきましたが、現在の教科書では1185年に鎌倉幕府が成立したという解釈に見直されているようです。
なお、源氏の本拠地である鎌倉が政権の拠点だったので鎌倉幕府=鎌倉時代と呼ばれているんですね。
武家政権は戦国時代から江戸時代が終わるまで続き、日本の将来に影響を及ぼした重大な出来事でした。
足利将軍家や織田信長、豊臣秀吉の全国統一や徳川家康が開いた江戸幕府など、鎌倉時代に誕生した武家政権が全ての始まりと言っても大げさではないでしょう。
3位 江戸幕府の成立
画像:狩野探幽・画「徳川家康」(大阪城天守閣)
西軍8万以上、東軍7万5千の大軍が死闘を繰り広げ、日本の行く末を左右した大合戦にも関わらず、わずか6時間ほどで勝敗がついたとされる関ヶ原の合戦。
勝利した家康は1603年に後陽成天皇から征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開き、1868年まで265年に渡り徳川将軍家の時代(江戸時代)が続くこととなります。
1615年には大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼし、一つの武家が統治した時代(中央集権国家)が265年も続いたわけですから、その後の日本に影響を与える出来事も数多く起きています。
なかでも重大な出来事が、都(日本の中心都市。政治の拠点。中央政府の所在地)を京都(京)から東京(江戸)に移したこと。
ちなみに、京都という地名は「京の都」が由来ですが、東京都は「東の京の都」が由来とされています。東京が日本の中心になったのは、江戸幕府が成立した(江戸に幕府を開いた)からなんですね。
そして、武家諸法度や参勤交代、幕藩体制や地方分権の規制など幕府の徹底した政策により戦国の世に終止符が討たれたことも日本史の大きな転換期となりました。
信長の亡き後、秀吉が天下統一したとはいえ戦国時代の風習は引き継がれたままでしたし、その証拠に秀吉が没して直ぐに関ヶ原の戦いという内戦が勃発し、武力衝突が起きたわけです。
将軍が代替わりしても揺らがない権威を誇示し、武力のみならず絶対的な権力と資本(経済力)によって日本を統治しました。
しかし一方では、キリスト教の弾圧や禁中並公家諸法度などのサディスティックな政策も目立ち、庶民や一部の派閥との溝を深めていくのも事実ですが・・・。
なにはともあれ、江戸幕府の成立は日本史のターニングポイントとして軽視できない重要な出来事ではないでしょうか。