画像:坂本龍馬之像(高知県桂浜)
新たな時代を夢見て奮闘し、志半ばで暗殺された坂本龍馬。前編では龍馬の暗殺に隠された3つの説を紹介したが、今回は残り3つの説に迫ってみたいと思う。
暗殺説その4 トーマス・グラバーが首謀者?
4つめの説は、暗殺の実行犯は薩長だが、その黒幕はグラバーという説である。
まず、薩摩藩や長州藩、土佐藩が武力による倒幕を望んでいたのに対し、龍馬は徳川家から朝廷への政権交代(大政奉還)による平和的な解決で時代を変えようと動き回っていた。
しかし、龍馬の平和主義な考えを快く思わない倒幕派もおり、その一人としてイギリスの武器商人であるトーマス・グラバーが龍馬暗殺の首謀者ではないかという説もあるのだ。
いつの時代も、戦争となれば武器が必要になる。戦争は武器商人にとって利益を生み出すチャンスであるが、龍馬が平和的な解決を実現すれば商売の邪魔になってしまう。
つまり、グラバーは武力による倒幕を望んでいたと言える。倒幕の動きを察知したグラバーは事前に大量の武器を薩長に売っていたが、なかなか戦争が起きず代金は未回収のままだった。
薩長に勝算があると予測し、代金は“ツケ(後払い)”にしていたのだ。ところが、もし戦争が起きなければ代金を回収できず大きな負債になってしまう。
そこでグラバーは薩長に龍馬の暗殺を提案し、龍馬=邪魔者がいなくなれば武力による倒幕ができると説得したのではないだろうか。
戦争が始まらないとグラバーは多額の負債を抱えてしまうし、龍馬が開戦を止めている原因となれば・・・、グラバーにとって邪魔者を消すことが暗殺の目的だったのかもしれない。
暗殺説その5 薩摩藩が暗殺を計画した?
画像:西郷隆盛之像(城山公園)
薩摩藩は徳川家に対して因縁がある。関ケ原の戦いで西軍に加勢していた薩摩藩主の島津家は徳川に敗北し、徳川幕府の時代になると冷遇される場面も多々あった。
徳川を武力で壊滅させ恨みを晴らしたい、なおかつ新国家になったとき政治に参加させないためにも徳川を滅ぼしておく必要があると考え、戦争による倒幕を望んでいたわけだ。
さらに薩長は、薩摩藩と長州藩を中心とする政治「中央政権」を計画しており、朝廷に政権が集まる大政奉還には前向きでなかったことが考察できる。
一つめに「武力による倒幕を望まない龍馬の考え」、二つ目に「大政奉還を実現させようとする龍馬の動き」、これらは薩摩藩にとってダブルで邪魔だったと言える。
龍馬暗殺が薩摩藩の計画であると提唱する文献もあり、蜷川新さん著書の「維新政観」や中村彰彦さん著書の「龍馬伝説を追え」だったり、暗殺の首謀者を西郷隆盛と書いている。
しかし、薩摩藩の西郷といえば龍馬と盟友とも称される仲。いくら龍馬が薩摩藩にとって邪魔とはいえ、いとも簡単に友の命を奪うだろうか。
しかも龍馬は大政奉還が実現する前に武力による倒幕へは賛成する動きをしており、西郷や桂小五郎(のちの木戸孝允)も龍馬の考えが変わったことを認識している。
そうだとすれば薩摩藩が龍馬を暗殺する理由は薄れるのだが、ただ一つ、やはり大政奉還が実現したことは中央政権を目指す薩長にとって不都合だったのかもしれない。
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