武田の騎馬隊はフィクションなのか?戦国時代の武将は本当に騎馬で戦っていたのか?
画像:青葉城跡・伊達政宗の騎馬像
まず、謝っておきます。なぜって、特定の人に残念な想いをさせてしまうかもしれないからです。今回は「戦国時代に騎馬隊は存在していなかった」というテーマであり、結論をいえば戦国時代に騎馬隊はいませんでした。
たとえば、戦国最強と称される武田の騎馬隊や、大河ドラマや映画などで登場する迫力満点の騎馬隊など、それらは後世に創造されたフィクションであり、戦国時代の「馬」といえば一般的にイメージする馬とはかけ離れたものでした。
戦国時代の馬
画像:福島県相馬市の相馬野馬追で行われる神旗争奪戦(鴨川一也氏撮影©産経新聞)
戦国時代の騎馬隊と聞いてイメージするのは、馬にまたがり敵軍に突撃する勇ましい武士の姿ではないでしょうか。とくに有名なのが、戦国最強と称される武田の騎馬隊ですよね。
しかし、残念ながら、戦国時代に「騎馬隊」は存在していなかった可能性が極めて高いようです。私たちがイメージする馬はサラブレッドやアラブ種と言われる品質で、しなやかで筋肉質な脚と大きな体が特徴的な競走馬みたいな馬です。
映画やドラマで武士が乗っている馬もサラブレッドやアラブ種に近い品種ですが、そうした筋肉質で骨格の良いサラブレッドが日本に入ってきたのは一説によると1877年頃の話で、戦国時代の馬といえば小柄な体格でした。
そもそも戦国時代の馬は移動手段や荷物を運ぶために養われていたわけで、合戦で馬に乗って戦ってい可能性は限りなくゼロに近いです。たとえ馬に乗って戦場に出向いたとしても、馬から降りて戦っていたという記録も残っています。
また、WEBや書籍などでは「戦国時代の馬はポニー程度の仔馬しか存在していなかった」なんて話も飛び交っているようですが、これについては必ずしも"小さい馬"だけとは言い切れないようです。
当時の記録を残す史料には、名馬と言われる馬の体高(肩までの高さ)は47寸~63寸(145センチ~165センチ)あったという記録もあり、一概にポニー程度の仔馬ばかりだったとは限りません。
そうした名馬の体高が平均150センチ前後なので肩から頭までの長さを足すと、もっと大きかったわけです。ちなみに、仔馬のような小ぶりなポニーで体高が120センチ前後ですから、それに比べると格段に大きいですね。
たとえば、織田信長や本多忠勝の愛馬は47寸~50寸前後で、武田信玄や上杉謙信の秘蔵の馬は48寸~52寸前後、加藤清正が大切に育てていた馬は63寸前後だったのこと。
そうした記録が完全否定されない限り、必ずしも「戦国時代には大きな馬がいなかった」とは断言できないわけです。
とはいえ、戦国時代は小ぶりな馬が圧倒的に多かったというのは事実。名馬や秘蔵の馬と呼ばれる馬は、あくまでも武将クラスが大切に養っていた高貴な馬であり、餌代もかかるわけで、やたらめった戦場に出向かせて死なせるわけにはいかないのです。
騎乗して戦っていたのか?
WEBや書籍などで飛び交っている「戦国時代の馬はポニー程度のサイズ」という説について、正直なところ、同調できない意見ですね。確かにサラブレッドのような大きさではなかったですが、ポニーのような体型ではなかったと思われます。
ポニーの体高(肩までの高さ)は平均で110~120センチ前後※ですが、たとえば、武田軍が重用していた「木曽駒(日本の在来種)」と呼ばれる馬は130センチ、大きいサイズで140センチあったとされています。
※ポニーの定義は体高が147センチ以下だが、平均的には体高120センチ前後が多い
画像:木曽馬(株式会社東濃ニュース)
また、当時の青森県に生息していた南部馬は体高が150センチ近くあり、体格はポニーの2周り~3周りくらい大きいサイズでした。しかし、木曽駒に比べると高価だったので、南部馬が戦国時代に名馬や秘蔵と言われていた馬ではないかと思われます。
問題は、「人間を乗せて問題なく走れたのか」ということ。
NHKの番組で騎馬武者の検証をしていましたが、身長160センチ以下の男性が大鎧(鎌倉時代の甲冑)を着用し、当時のサイズの馬に乗って走るという実験では時速21キロメートルで1キロメートルの距離を軽々と走行。
次第に速度は落ちるものの結果的に3.5キロメートルほどを問題なく走行していました。さらに、数年後に行われた実験では、ほぼ同じ条件で100メートルを12秒(時速30キロメートル)で走行したデータもあります。
さらに、このときの馬の重さは人間の重量を足して約350キロ前後ですから、その重さが正面から突進してきたら下手すると命取りになりますね。戦力がとしての威力は絶大です。
でも、この検証は、あくまでも現場での実験のみ。当時は本拠地から戦場まで馬にまたがっていどうしたことも考慮すると、到着した頃に100%のパワーを発揮できたとは言い切れません。
小ぶりなので、そのぶん体力も劣ります。人を乗せて長い距離を移動した後、戦場で甲冑を装備した武将を乗せて時速30キロメートルで走れる可能性は低いと考えられます。つまり、「無理があるでしょ」という話なんです。
結果、当時、合戦で馬にまたがって戦うことは困難である可能性が高くなりますね。
しかし、一部の史料には「騎馬武者が存在していた」ことを示す記録も残っています。