戦国時代でスカウトしたい「森長可」
画像:森長可の肖像(兼山歴史民俗資料館)
生没 | 1558年生まれ 1584年死去 |
出身 | 美濃(岐阜)の金山 |
主君 | 信長から織田信忠へ、最後は豊臣秀吉 |
親族 | 父:森可成 義父:池田恒興 弟:森蘭丸と森忠政 |
特徴 |
信長から可愛がられている 信長から名前を授かった 森蘭丸の兄貴 |
あだ名が鬼武蔵 戦国一の狂乱 名槍「人間無骨」を所有 | |
何があっても己を貫き通すタフな精神力と自由勝手な行動力 |
戦国時代きっての狂乱といえば、間違いなく森長可でしょう。織田家に対する忠誠心は本物で、信長から「長」の一文字を授かるくらい信長に可愛がられていました。
でも、自由勝手で、腕っぷしが強いからキレると何をするか分からないヤバめの武将なんです。さすがの信長も「長可だから仕方ない」と許していたようで、気に食わない奴は斬ってしまうという暴君ぶり。
とはいえ、戦力は抜群。槍の名手として名を挙げ、第三次・長島一揆攻めでは27人を討ち取り、ついた異名が「尾張の鬼武蔵」でした。そして、愛槍は「人間無骨」という名の十文字槍。
あだ名が鬼武蔵で武器が人間無骨・・・、「わざとか!」ってくらい恐ろしい武将なんですよね。
なんでもありのクレイジー兄ちゃん
しばらく京都に滞在することになった信長は各地の大名や家臣らに顔を出すよう声をかけ、一方、それに先駆け関所では朝廷の役人たちが京都に入ってくる者たちを厳しくチェックしていました。
長可も信長に会いに行こうと京都に向かい、関所に到着。
当然、「通行許可を出してくれ」と言われるわけですが、 長可は「急いでるから早く通せよ」と強引に通ろうとします。
慌てて役人が長可を捕らえようとすると長可は関所の近くに火を放ち、混乱している隙に関所を通過して京都に到着しました。さすがに「まずかったかな・・・」と思った長可は「切腹して殿(信長)に詫びるよ」と反省。
しかし、信長は「切腹するなんて言うな」と呆気なく許し、長可は超ご機嫌なのでした。信長の死後、秀吉が主君となった後も長可の素行の悪さは変わらなかったようです。
熱田(名古屋市熱田区)に大橋が完成した際、秀吉は「身分を問わず馬に乗ったまま橋を渡るのは禁止じゃ」と家臣の浅野長政(五奉行の一人)に命じていました。
大橋の完成を知り、やってきた長可。橋の入り口では浅野の兵が見張りを行っています。長可が馬に乗ったまま橋を渡ろうとすると、「馬から降りて渡らせるようにと秀吉様から命令を受けています」そう伝えました。
もちろん、言うことを聞くわけがありません。「嫌だ、早く通させろ」と駄々をこね、橋の見張りを斬り捨ててしまったんです。これを知った浅野長政は大激怒。すぐさま秀吉に長可の暴挙を報告。
しかし、秀吉は「長可だから仕方ないよ」と許してしまいました。信長のみならず秀吉まで・・・。天下人を呆れさせる素行の悪さ、まさに鬼武蔵の名に恥じないクレイジーな武将だったみたいですね。