裏切りも生き残るための選択・・・。戦国時代に"汚名"を残した5人の武将
画像:本能寺焼討之図 楊斎延一画(愛知県図書館)
群雄割拠の戦国時代。生き残りを懸けて命を張っていたわけで、正義だけでは"世渡り"できないのも実情。ときには苦渋の選択を迫られ汚い手段に走ることも・・・。そう、つまり"裏切り行為"ですよ。
今回は、裏切りによって戦国時代に"汚名"を残してしまった5人の武将を紹介します。「いつ」「どこで」「誰を」裏切ったのか、そのときの状況をやエピソードを振り返ってみましょう。
小早川秀秋
画像:©映画「関ケ原」製作委員会
まず一人目は、関ケ原の合戦で西軍から東軍に寝返った秀秋さん。
<いつ?>1600年10月21日
<どこで?>関ケ原(岐阜県不破郡関ケ原町)
<誰を?>西軍
彼の裏切りが西軍の敗因とは言い切れませんが、戦況を大きく変えた原因の一つになったことは確か。秀秋の裏切りによって西軍の大谷吉継、平塚為広らは命を落としていますし、一気に東軍が攻め込む機会となりました。
当時19歳だった秀秋は家康から「お家存続のために懸命な判断をしなさい」と威嚇され、苦渋の選択の末、東軍に寝返ったわけですが、ここに至るまで秀秋を悩ませる大人たちの駆け引きがあったんですよ。
まだ秀吉が生前の頃、秀秋は理由もわからず秀吉に18万石を没収され、石高が12万石になってしまいます。家康が「秀吉さん、もうちょっと手加減してやってよ」と取り計らい、そのときの恩義を感じていた秀秋。
一方、石田三成に「秀頼(秀吉の息子・豊臣家の跡継ぎ)が20歳になるまで君が関白になってくれない?」と言われ、恩義と出世の狭間で心が揺れ動くんですね。つまり、いささか彼は優柔不断だったのです。
そして、関ケ原の合戦が勃発する数週間前に家康は秀秋に打診するわけです。「腹は決まったか?西軍に加勢したとしても俺の合図で東軍に寝返ればよい」と・・・。
結果、秀秋は寝返り、東軍の大勝利。大軍が激突した歴史的な合戦は、わずか半日で決着がつきました。ちなみに、西軍から寝返ったのは秀秋だけではないんですよ。
脇坂安治や小川裕忠、朽木元網や赤座直保も事前に家康に調略されていたようで、相次いで西軍を裏切ることに。秀秋が裏切り者としてクローズアップされているのは、西軍の戦況が不利に傾いたきっかけになったからかもしれません。
秀秋は関ケ原の合戦が終わり、2年後に急死。
一説によるとノイローゼ気味で精神が保てず体調を崩し、そのまま他界してしまったとか。「彼を責めないでほしい」とまでは言いませんが、19歳の青年に押し付けられた選択としては過酷だったのかもしれませんね。
松永久秀
画像:落合芳幾・画「松永弾正久秀」(東京都立図書館)
二人目は、戦国の"クレイジーおじさん"こと久秀さん。
<いつ?>1572年と1577年
<どこで?>多聞山城と信貴山城
<誰を?>織田信長
まず、久秀は信長に加勢していた戦国武将の一人。金ヶ崎の退き口では浅井長政の裏切りを一早く察知して信長に知らせたという説もあるほどの人物。が、しかし、彼は二度も信長を裏切るんです。
足利義昭は「信長包囲網」を発動するために各地の大名や武将に命令を出しました。真っ先に応じたのが甲斐の虎・武田信玄。この時代、上杉謙信と並び"無敵"と称された武将ですよ。
さすがの信長もピンチなわけで、そんな状況下で久秀は信玄と内密にやり取りしていたようで、1572年に久秀は三好義継らと結託して信長に対し反逆を起こしたのです。
いよいよ信玄が信長を壊滅させようと動き出した矢先、信玄は進軍中に病死。これによって信長包囲網は次第に弱まり、怒りMAXの信長は義昭を威嚇しまくって京都から追放。
つまり、足利将軍家が終焉を迎えた瞬間ですね。久秀は多聞山城に籠城して抵抗しようとしましたが手持ちの兵も少ない状態で織田軍に包囲され、降伏。なんとか信長に許してもらえました。
それから5年後、またもや反逆します。
1577年の石山本願寺攻めに従軍していた久秀は、今から攻めるぞ!というときに突如として戦線を離脱し、居城の信貴山城に立て籠もってしまうんです。織田軍の誰もが「えっ?」といった雰囲気。
信長は城に遣いを出し、「何か言いたいことがあるなら言ってくれ」と久秀をなだめましたが、これを素っ気ない態度で追い返してしまいます。我慢の限界に達した信長は息子の信忠に4万の兵を預け、信貴山城を包囲。
対する久秀の兵は8000。そして、信長は最後のチャンスを与えます。「お前が大切にしている古天明平蜘蛛(至極の作品と言われた茶器)を俺にプレゼントしれくれるなら今回のことは忘れよう。なかったことにしよう」と。
信長は大の茶器マニアですし、久秀が持っていた古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)は魅力的だったわけで。
これを聞いた久秀は古天明平蜘蛛を渡すことなく自害。死ぬ前に叩き割ったという説もありますね。二度も信長を裏切り、しかも同じ籠城というシチュエーションで、まさにミステリアスなクレイジーおじさんです。
この記事へのコメントはありません。