鎌倉、足利、信長、徳川、なぜ時代の権力者たちは天皇の座を奪わなかったのか?
上皇明仁から今上天皇へと皇位が継承された2019年5月1日。皇位継承に伴って元号も平成から令和へと新たに変わりましたね。
さて、天皇の歴史をさかのぼると今上天皇で126代目となり、初代の天皇は2700年前の神武天皇。今日に至るまで天皇(王朝)という地位は守られ続け、世界的に見ても日本が最古となります。
つまり、2700年もの間、天皇は一度も途切れたり滅びたりすることなく126代に渡って脈々と受け継がれてきたのです。その証として、ギネスにも認定されています。
一方、どの時代を見ても強大な軍事力を持つ「時の権力者」が存在していたにも関わらず、それらの権力者たちは「なぜ天皇の座を奪おうとしなかったのか」という疑問も生じます。
なぜ天皇は滅びなかったのか
画像:安達吟光・画「神武天皇」(国立国会図書館)
たとえば、平安時代の藤原道長や平清盛、室町時代以降の足利将軍家、戦国時代の織田信長や豊臣秀吉、日本の歴史上で最も強大な権力を誇った江戸幕府の徳川家など、いずれの権力者も天皇を滅ぼそうとは考えていません。
表向きでは軍事や権力で国を統治しようをしても天皇を擁立するというスタンスは、どの権力者にも共通しています。いくら時代が変わっても、天皇に成り代わろうとした人物はいませんでした。
では、なぜ皇位(天皇の座)を奪おうとしなかったのか、それは皇位が古来より続く神聖な領域だったからです。言うなれば、皇位とは軍事力や勢力では新興できない普遍的な権威でした。
どの時代の権力者たちもそのことを重々に理解しており、関白や征夷大将軍といった天皇を補佐する地位を得ることで朝廷に関わり、天皇に認められた権威ある立場として国の統治を公的に行っていたわけです。
そして、鎌倉幕府や室町幕府に武家政権が誕生(武家が政権を掌握)しても、天皇から与えられた将軍職というスタンスを崩すことなく、実質的には将軍が国を支配していました。
その時々の権力者たちは、軍事力や資本だけでは国の統治が保てない(皇位の後ろ盾=権威がないと政権を維持できない)ことを理解していたのでしょう。
天皇という権威は普遍的かつ国家の絶対的な象徴だったのです。
また、天皇に至っては、強大な軍事力や資本を持つ権力者(武家)に将軍職を与えることで皇位と朝廷が守護されるという暗黙の関係が成り立ち、武家は国の最高権威から与えられた地位や職だからこそ価値があったと考えられます。
武家政権が発足した以降、天皇と幕府は互いの権威を尊重しつつパワーバランスを保っていましたが、日本の歴史上で最も強大な権力を持つ徳川幕府の到来で皇位に転機が訪れます。