徳川幕府の権威
画像:狩野探幽・画「徳川家康」(大阪城天守閣)
関ヶ原の戦い、大坂夏の陣を経て天下人となった徳川家康。江戸に幕府を開き、その後、徳川幕府は265年の長きにわたって政権を掌握し、日本を統治した歴史上で最も強大な権力を有した一族。
徳川も例外ではなく、源や藤原、足利家と同様に征夷大将軍の地位を天皇から賜り、皇位を廃するということはしませんでした。とはいえ、徳川将軍家の独裁政権であったことは間違いありませんが。
もちろん国民にとっても古来より天皇は神聖な意味をもつ特別な存在であり、もしも皇位を廃するようなことがあれば大規模な内乱が起こることは明白だったのです。
しかし、徳川幕府は天皇を擁立していたにも関わらず、幕末には天皇を支持する勤王派(尊王派)の動きが活発になり、江戸幕府と敵対して戊辰戦争に発展しています。
徳川幕府の独裁政権に不満を抱く勤王派が幕府の廃絶を訴え、天皇を軸とした政権を新たに発足する動きを強め、勤王派の圧力に屈した徳川家は政権を天皇に返上(大政奉還)し、徳川幕府の終焉と共に明治時代が幕を開けました。
徳川幕府の末路を見ても分かるように、天皇(朝廷)とのパワーバランスが崩れてしまうと国家を揺るがす大事件となってしまうことが歴史でも証明されているわけです。
今回のテーマである
「なぜ時代の権力者たちは天皇の座を奪わなかったのか」という問いに対し、
答えは、「どれだけ大きな軍事力や権力を有していたとしても皇位だけは触れてはならない神聖な領域であり、天皇を廃すると災いを招くと知っていたから」という結論になりますね。