戦国武将の平均寿命は何歳?最も長生きした戦国武将は誰?
侵略や破壊が繰り返された群雄割拠の戦国時代。危険と隣り合わせの乱世において、はたして「戦国武将の平均寿命は何歳だったのか」という疑問が今回のテーマです。
そのうえで、「最も長く生きた武将は誰だったのか」についても確認してみたいと思います。今回は独自の統計や調査による見解なので、戦国史を楽しむ参考にしていただければ幸いです。
戦国武将の平均寿命は50歳?
画像:狩野安信・画「平敦盛」の肖像(須磨寺蔵)
まず、戦国時代の寿命は50年という誤解から解きたいと思います。
戦国時代の寿命について、信長が好んで謡っていたとされる幸若舞「敦盛」※の「人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」という一節から、当時の人間の寿命を50年と解釈している人もいるようですが、これは誤解です。
人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり |
この意味は、人間の寿命を表しているのではなく、
人間界の50年は化天では一日のことであり、人の世の時の流れは儚いものである |
という解釈になります。
化天とは化楽天(けらくてん)のことで、神々が住む天界は「無色界」「色界」「六欲界」の三層で成り立っており、最下層にある六欲界は快楽に満ちた世界と言われています。
そして、さらに六欲界は6層から成り立ち、下の層にいくほど寿命が長くなります。そして、六欲界の下から2番目の世界が化天(化楽天)で、この世界の寿命は8000年と言われており、人間の時間に換算すると23億400万年。
人間界の50年は化天では24時間(一日)であり、「人の世の時の流れは化天に比べれば儚いものである(化天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり)」という意味になるわけです。
※幸若舞「敦盛」・・・室町時代を祖とする曲舞(能と同類)。平安時代の武将・平敦盛が演目の題材
戦国武将の平均寿命は何歳?
画像:狩野探幽・画「徳川家康」の肖像(大阪城天守閣)
寿命の平均を出すためには当然ながら戦国武将の死没した年齢を収集する必要がありますが、マイナーからメジャーまで結構な数の人物がいるため、今回は武将と位置付けられる主な人物の没年を参考にして平均寿命を算出しました。
また、今回は逸話や伝説的な人物も死没が明示されている人物は含んでいます。ほかにも天皇を除く公家や、一揆や合戦に加担した僧侶・豪族も含みました。番外編として、女性の平均寿命も算出したので参考にしてください。
戦国武将の平均寿命は「62歳」 |
※計264人の没年から平均寿命を算出
戦国時代の女性の平均寿命は「59歳」 |
※計22人の没年から平均寿命を算出
<男性>
没した歳 | 人物名 | 没した歳 | 人物名 |
17歳 | 森蘭丸 | 18歳 | 羽柴秀勝 |
19歳 | 武田信吉 | 20歳 | 小早川秀秋、松平信康 |
21歳 | 豊臣秀頼、織田信行 | 22歳 | 別所長治、長宗我部信盛 |
25歳 | 織田信忠、織田信孝、織田秀信、斎藤龍興、上杉景虎、尼子勝久 | ||
26歳 | 大内義長 | 27歳 | 豊臣秀次 |
28歳 | 浅井長政 | 30歳 | 足利義栄 |
29歳 | 武田義信、佐久間盛政、北条氏直、足利義輝 | ||
31歳 | 宇都宮広綱 | 33歳 | 結城秀康、斎藤義龍 |
34歳 | 陶晴賢、竹中半兵衛 | 35歳 | 武田勝頼 |
36歳 | 武田信繫 | 38歳 | 長塚正家、長尾政景 |
37歳 | 堀秀政、浅野幸長、毛利勝永 | ||
39歳 | 高橋紹運、蒲生氏郷、朝倉義景 | ||
40歳 | 石田三成、長宗我部盛親、大谷吉継 | ||
41歳 | 今川義元、織田信秀、伊達輝宗、井伊直政、中川清秀 | ||
42歳 | 三好長慶 | 43歳 | 小山田信茂、大内義隆 |
45歳 | 小西行長 | ||
46歳 | 尼子晴久、京極高次、大野治長、山県昌景 | ||
47歳 | 織田信長、姉小路頼綱、森可成、浅井久政 | ||
48歳 | 上杉謙信、真田幸村、池田恒興、池田輝政、斎藤利三、大友義鑑 | ||
49歳 | 加藤清正、顯如、丹羽長秀 | ||
50歳 | 豊臣秀長、武田信廉、甘利虎泰、蒲生賢秀 | ||
51歳 | 武田信玄、荒木村重、高坂昌信、支倉常長、大内義興 | ||
52歳 | 北条氏政、佐々成政、徳川秀忠、吉弘鑑理、大友義統 | ||
53歳 | 朝倉孝景、南部信直、宇喜多直家、河尻秀隆 | ||
54歳 | 太田道灌、明智光秀、服部半蔵、黒田長政、佐久間信盛 | ||
55歳 | 龍造寺隆信、臼杵鑑速、雑賀孫市、後藤又兵衛、松平忠直 | ||
56歳 | 北条氏康、吉川元春、上杉憲政、黒田重隆 | ||
57歳 | 黒田官兵衛、大道寺政繁、大友宗麟 | ||
58歳 | 九鬼嘉隆、片倉景綱、榊原康政、津軽為信、勧修寺晴豊 | ||
59歳 | 直江兼続、足利義昭、板垣信方、可児才蔵、片桐且元 | ||
蘆名盛氏、氏家卜全、母里友信、太原雪斎 | |||
60歳 | 長宗我部元親、島左近、馬場信春、山内一豊、角倉了以 | ||
61歳 | 豊臣秀吉、滝川一益、柴田勝家、鳥居元忠、平手政秀 | ||
宮本武蔵、安国寺恵瓊、真田幸隆、飯富虎昌、黒田職隆 | |||
62歳 | 前田利家、斎藤道三、本多忠勝、仙石秀久、大久保忠世、 | ||
63歳 | 尼子国久、福島正則、高山右近、吉川広家、前田玄以、葛西晴信 | ||
64歳 | 真田昌幸、浅野長政、小早川隆景、金地院崇伝 | ||
65歳 | 佐竹義重、小寺政職、南部晴政、三浦道寸、ルイス・フロイス | ||
67歳 | 上杉景勝、松永久秀、前野長康、堀尾吉晴、原虎胤 | ||
68歳 | 最上義光、伊達政宗、加藤嘉明、成田長親、小堀遠州 | ||
山本勘助、大久保長安、結城政朝 | |||
69歳 | 酒井忠次、足利政氏、黒田休夢、千利休 | ||
70歳 | 増田長盛、尼子義久、平岩親吉、井伊直孝 | ||
71歳 | 織田信包、村上義清、古田織部、山科言継 | ||
72歳 | 織田信雄、毛利輝元、本多正純、脇坂安治、相馬盛胤 | ||
長連龍、北条綱成、立花道雪、土井利勝 | |||
73歳 | 徳川家康、鬼庭良直、本荘繁長 | ||
74歳 | 毛利元就、稲葉一鉄、藤堂高虎 | ||
75歳 | 織田有楽斎、大久保忠隣、柳生宗矩 | ||
立花宗茂、吉田兼見、宇佐美定満、今川氏真 | |||
76歳 | 細川幽斎、島津忠良、色部勝長、近衛前久 | ||
77歳 | 六角義賢、伊達稙宗 | 79歳 | 安藤守就 |
78歳 | 伊達成実、山名豊国、本多正信、島津義久 | ||
80歳 | 鍋島直茂、武田信虎、井上之房 | ||
81歳 | 栗山利安 | 82歳 | 細川忠興 |
83歳 | 宇喜多秀家、尼子経久 | 84歳 | 島津義弘、金森長近 |
85歳 | 新納忠元 | 86歳 | 太田牛一 |
87歳 | 北条早雲 | 88歳 | 水野勝成、三好政康 |
90歳 | 丸目長恵、山田有栄、赤星統家 | ||
91歳 | 茂庭綱元、松平忠輝、志道広良、北信愛、大道寺直英、山田有栄 | ||
92歳 | 真田信幸、竹内久盛 | 93歳 | 一栗放牛、龍造寺家兼 |
95歳 | 立石正賀、村井重勝、須田盛秀、多羅尾光太 | ||
多羅尾光俊、宮城政業、志賀親次 | |||
96歳 | 木幡高清、中条藤資、北条長綱、大島光義 | ||
小梁川宗朝、三好政勝、竹内久勝 | |||
97歳 | 上条政繁、平賀元相 | 98歳 | 北条幻庵 |
100歳 | 石田重家、国司元相 | 106歳 | 木幡高清 |
107歳 | 南光坊天海 | 108歳 | 滝川益氏 |
<女性>
没した歳 | 人物名 | 没した歳 | 人物名 |
17歳 | 鶴姫 | 33歳 | 立花誾千代 |
35歳 | お市 | 37歳 | 細川ガラシャ、築山殿 |
46歳 | 淀殿 | 47歳 | 小松姫、朝日姫 |
50歳 | 栄姫 | 53歳 | 江 |
60歳 | 千代(見性院) | 63歳 | お初(常高院) |
68歳 | 千姫 | 70歳 | まつ(芳春院) |
72歳 | 於万の方(長勝院) | 74歳 | 光姫 |
76歳 | 京極マリア | 77歳 | 北政所(ねね)、濃姫 |
79歳 | 大政所 | 81歳 | 阿茶局 |
85歳 | 綾御前 |
最も長生きした戦国武将は?
画像:上部、相馬利胤(福島県立博物館)
最も長生きした戦国武将は、史料で実在が確認されている人物では、
106歳まで生きた「木幡高清」 |
不明な点も多いが恐らく実在したと思われる戦国武将なら、
108歳まで生きた「滝川益氏」 |
が、戦国時代に最も長生きした武将と考えられます。
木幡高清は、天文6年(1537年)から寛永19年(1642年)にかけての武将で、織田信長(生1534年)の3年後に生まれて江戸時代の初期まで生きているので、かなり長寿だったことがわかります。
相馬氏5代目に仕え、相馬利胤(陸奥相馬中村藩・初代藩主)の後見人になり、故事や文献に詳しく、史料の編纂を行った人物でもありました。また、中村城の城下の整備に貢献し、息子の清吉も96歳まで長生きしています。
さて、滝川益氏については不明な点もあり、「関八州古戦録」「北条五代記」などの軍記物語を参照すると、大永7年(1527年)から寛永12年(1635年)にかけての武将です。
一説によると滝川氏の一族で、前田利益(前田慶次)の父親で、織田信長の家臣である滝川一益の従兄弟。しかし、佐治益氏と同一人物という説もあり、不確かな情報が多いようです。
1582年には一益と共に甲州征伐や神流川の戦い(後北条氏との合戦)に出撃したが、一益が上野国を失って伊勢(三重県北中部)に敗走。その1年後に起きた賤ヶ岳の戦いにも出陣したとのことです。
とくに、晩年について不明な点が多く、今回は「106歳まで生きた木幡高清」を最も長生きした戦国武将としました。戦国時代の雑学として、ぜひ参考にしてみてはいかがでしょうか。