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読めば"文明開化"の音がする?意外と面白い「明治時代」の雑学8つ

郵便ポストが「赤」になった理由

読めば"文明開化"の音がする?意外と面白い「明治時代」の雑学8つ
画像:タカラトミー

今では郵便局のポストといえば「赤」が定着していますが、日本に初めて郵便ポストが設置された1871年には、東京に12本、京都に3本、大阪に8本、東京・京都・大阪を結ぶ東海道の各所に計62本、合わせて85本のみでした。

当時は四角い木箱(書状集箱、または集信箱と呼ばれていた)が設置され、使用方法や運賃・届くまでの時間を書いた案内板(または紙)が木箱に添えられていました。

利用者の増加に伴い、1872年に郵便局が発足し、設置数も大幅に増加します。

その際、木箱から新しい形状に作り変えられ、木箱を大きくし、鉄板で木箱の角を補強し、全体に黒いペンキが塗られ、郵便箱へと名称が変わりました。それから30年間、黒い郵便箱が使われ続けます。

では、なぜ「黒」から「赤」に変わったのでしょうか。

ずばり、

赤のほうが目立つ

ことが理由。夜になると黒い郵便箱は見づらく、イギリスの赤い郵便ポストを参考にして日本の郵便箱も赤に変わったそうです。そして、火災に備えて死角よりも燃え広がりにくい丸型のポストへと変わりました。

なお、赤くて四角い形状になったのは昭和26年からです。郵便物の投函が100通を超える地域に限定され、設置されました。また、名称も「郵便差出箱」へと変わり、以降も細かな改良が加えられ現在に至ります。

ちなみに郵便ポストというのは通称(愛称)で、正式名称は「郵便差出箱」なんですよ。

●明治5年~黒い郵便箱 ●明治41年~鉄製の丸型の郵便ポスト(中村式ポスト)
●昭和4年~戦争による鉄不足のためコンクリート製の郵便ポストを設置
●昭和20年~終戦に伴い丸型の赤い郵便差出箱を設置
●昭和26年~赤くて四角い郵便差出箱を設置
●昭和45年~赤くて四角い郵便差出箱1号を設置
以降、細かな改良が加えられ、現在の郵便ポストは「郵便差出箱14号」です。

童謡「春の小川」の由来

読めば"文明開化"の音がする?意外と面白い「明治時代」の雑学8つ

幕末には全国各地に300を超える藩があり、それぞれの地域に方言があり、現在のような標準語は存在していません。

明治時代の廃藩置県によって藩は県へと改正されましたが、それでも地域ごとの住人は独自の方言で会話していました。そのため、ほかの県民と会話するときは聞き取れなくて困難が生じることも珍しくなかったそうです。

そこで、方言を無くし、言語の共通化を目的として作られたのが童謡「春の小川」です。

春の小川は明治45年(1912年)に発表された文部省の唱歌で、方言の特徴は「さしすせそ」が上手く言えず「しゃししゅしぇしょ」と発音するため、その癖を直すための歌と言われています。

当時の歌詞

春の小川は ら流る
みれや れんげの花に
匂いめでたく 色うつく
けよけよと ささやく如く

春の小川は ら流る
えびやめだかや小ぶなの群に
今日も一日ひなたに出でて
べと ささやく如く

春の小川は ら流る
歌の上手よ いとき子ども
声をろえて小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く

言われてみれば、確かに「さ行」が多いですね。

しかし、この話を裏付ける明確な史料がないので、あくまでも雑学として参考にしていただければ幸いです。

日本に初めて映画が上陸した日

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画像:キネトスコープの復元(六甲オルゴールミュージアム)

映画の発祥は、トーマス・エジソンがキネストスコープを発明したことに始まり、撮影スタジオを設立して映画も制作していたそうです。

キネストスコープは高さ1メートルほどの木箱で、その中に設置された映像フィルム(一コマづつの写真)がローラーで回り、上部の覗き穴から連続性のある動き(映像)を観るという仕組みでした。

日本では鉄砲商人の高橋信治がキネストスコープをアメリカから取り寄せ、明治29年11月29日から5日間、一般公開しました。思わぬ反響で公開は12月1日まで延長され、この日にちなんで12月1日は映画の日となっています。

また、エジソンがキネストスコープを公開して直ぐに、フランスのリュミエール兄弟がスクリーンに映像を映し出すシネマトグラフを開発し、明治30年1月に稲畑勝太郎が京都市中京区にあった京都電燈株式会社の本社で上映しています。

その後、明治30年2月に日本で初となるシネマトグラフの有料上映が大阪の難波で行われました。

特殊な国家公務員

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画像:ぎふ長良川鵜飼

鵜飼い(うかい)とは、鵜(ウ科の総称)の一種であるウミウという鳥を操って川魚の鮎を捕まえる漁の手法です。日本では現在でも主に12の地域で鵜飼いが行われていますが、漁ではなく観光名物として扱われています。

現存する各地の鵜飼い

<日本三大鵜飼>
ぎふ長良川鵜飼(岐阜県岐阜市)
三隈川の鵜飼(大分県日田市)
大洲鵜飼(愛媛県大洲市)

筑後川の鵜飼 (福岡県朝倉市)
岩国錦帯橋の鵜飼(山口県岩国市)
宇治の鵜飼(京都府宇治市)
嵐山の鵜飼(京都府京都市)
小瀬の鵜飼(岐阜県関市)
木曽川の鵜飼 (愛知県犬山市)
石和の鵜飼(山梨県笛吹市)
三次の鵜飼(広島県三次市)唯一、胴体の白いカワウを使用

有田川の鵜飼(和歌山県有田市)※休止中
高津川の鵜飼(島根県益田市)※休止中

鵜飼いは古くから行われており、1400年前の文献にも記されています。そして、鵜を操る職人を鵜匠(うしょう)といいますが、独特な技法を用いて鵜を操るため、相当な訓練と経験が要求される職業です。

読めば"文明開化"の音がする?意外と面白い「明治時代」の雑学8つ
画像:ぎふ長良川鵜飼

なかでも、日本三大鵜飼の一つである長良川の鵜匠は明治時代に皇室御用達となり、現在は「宮内庁式部職鵜匠」という役職に任命されています。つまり、宮内庁の職員であり、国家公務員というわけです。

未成年の喫煙を禁じる法律

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画像:2012年度の禁煙デー・ポスター(厚生労働省)

未成年者の喫煙が法律で禁じられていることは今では常識ですが、明治時代は小学生くらいの子供も普通にタバコを吸っていたそうです。福沢諭吉は、生徒に「煙草を吸うなら休み時間に吸え」と指導したこともあるとか。

しかし、あまりにも小学生の喫煙が目立ったため、明治33年に未成年者の喫煙を禁じる法律が制定されました。あちこちで子供がタバコを吸っていたなんて、現代人には想像できませんね。

さて今回は、明治時代に関する雑学をいくつか紹介しましたが、「なるほど」と思った雑学はありましたか?

なかには信ぴょう性が曖昧な話もありますが、今後、歴史を楽しむ参考やきっかけになれば幸いです。

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