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戦国時代に「時計」はあったのか?

太陽の位置と時間の関係

戦国時代に「時計」はあったのか?

日の出と日の入を基準に一刻を12(十二支)に振り分ける十二時辰ですが、結局のところは太陽の位置が大まかな時刻の目安になっていたようです。

気象庁のデータを参考にすると、2019年5月1日の日の出は5:15、日の入りは19:00となっており、方角に応じた太陽の位置と時間の関係は次のようになっています。

方角 角度 時間 十二時辰
50度 5:15 卯の刻
北東 90度 9:00 辰の刻
南東 150度 11:00 巳の刻
南西 220度 13:00 午の刻
南西 250度 15:00 未の刻
西 300度 19:00 酉の刻

※2019年5月1日の気象観測データ

もちろん戦国時代に気象庁の観測データはありませんから、太陽の位置で大まかな時間を把握していたことになります。「もうすぐ日が沈むから酉の刻か~」といった感じですね。

また、戦国時代の史料や文献を見ていると「卯の刻に美濃を出た」「未の刻まで続いた」など、十二時辰の記載を目にすることも多く、時刻を知るために使われていた方法だったようです。

場所や季節で異なる

現代の時計は全国どこにいても同じ時間を刻んでいますが、戦国時代の時刻は太陽(日の出と日の入)が基準なので場所(緯度・経度)によっても一刻の長さが異なってきます。

このように天候や場所、季節などで変動する時刻の出し方を「不定時法」といい、現代の定時法のような1時間=60分・1日24時間という概念は存在していなかったんです。

そのため、1日の長さは人それぞれ感じ方が違い、かなりアバウトだったわけです。仕事や生活など時間に支配されがちな現代社会では考えられませんね。

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