AB型の歴史上の人物
画像:上杉謙信(上杉神社)
さて、歴史上の人物(日本人)でAB型はいたのか調べてみると、信ぴょう性の低いものから断定的なものまであったので、いくつか紹介したいと思います。
- 上杉謙信・・・ほぼ確実
- 藤原清衡・・・ほぼ確実
- 藤原秀衡・・・ほぼ確実
- 勝海舟・・・★2つくらい
- 太宰治・・・★2つくらい
なるほど。あの上杉謙信がAB型だったとは新発見ですね。なにやら誓書の血判を鑑定した結果らしく、現代科学の進歩にも驚かされます。
では、謙信の人柄や性格をAB型の特徴と照らし合わせると、どのようになるのでしょう。
上杉謙信の性格を分析すると・・・
画像:武田信玄の銅像(甲府駅前)
謙信は領土拡大や侵攻、地位や名声に興味がなく、どちらかと言えば無欲で平和主義者。他人の目や評価を気にせず、自分が信じる道を一途に進むタイプで、ずば抜けた正義感の持ち主だったようです。
越後を統一して間もなく、高梨氏から助けを求められた謙信。友人の村上義清が、武田信玄に城を奪われて落ち込んでいるという相談でした。
大義が村上氏にあることを知った謙信は、村上氏の葛尾城(かつらおじょう)を取り返すために長野県へ進軍。こうして川中島の戦いが幕を開けたわけです。
義を重んじ、汚れを嫌う謙信らしい決断でしょうが、普段は平和主義で穏やかだけど、覚悟を決めたら鬼の化身さながらの軍神ぶりで幾多の武将を恐れさせた猛将。
そして、謙信の正義感の強さを物語るエピソードとして、こんな話もあります。
今川氏真と北条氏康が手を組み、信玄の両国である甲斐に「塩を売るな」と商人らに通告。
これは、今川氏による進言への制裁という名の嫌がらせでしたが、甲斐は山地で塩が生成できずに領民たちは大困り。
その事態を知った謙信は甲斐に塩を送り、甲斐の人々は大助かりしたという逸話もありますね。
敵に塩を送った謙信。純粋に領民の生活を心苦しく思い、とっさにとった行動だったのでしょうか。とはいえ、きっちり代金は頂いたそうですが。
正義感が強く、自分が正しいと思ったことを行動に起こすAB型らしい性格です。
そのへんの三流武将なら敵が弱っていると喜びそうなところを、謙信クラスになると敵も味方も関係なし。そんなこんなで、5度の戦い(川中島の戦い)でも決着がつかなかった謙信と信玄。
幕引きの理由は信玄の病死でした。一説によると、信玄の死を知った謙信は涙を流したそうです。
天才的な商売のセンス
画像:上杉謙信の銅像(春日山城)
謙信の戦歴は生涯において70戦(諸説あり)と言われていますが、ほとんどの合戦で先頭に立ち指揮を執っていたようです。
そして、負けた戦は2度(70戦2敗)。まさに"軍神"の名に恥じない人物でした。しかし、謙信は戦だけが取り柄の男ではありません。
謙信の死後、春日山城の蔵から約2万7千両(現在の27億円に相当)もの大金が見つかっており、その遺産は謙信が"ビジネス"によって生み出した利益なんです。
港の運営(直江津と柏崎の関税)と地場産業(カラムシの栽培と越後上布の製造)に着手し、組織の運営費(家臣や兵の雇用や必要経費)や軍資金を賄っていたとされています。
ビジネスで莫大な利益を得ており、戦のイメージが強いですが、しっかりと財源の確保にも取り組み、一国のリーダーとして越後に君臨していたことが分かります。
まさに謙信は責任感が強く、特定の分野において能力を発揮する「天才肌」のAB型。
非の打ち所がないくらい優秀かと思えば、大酒のみと塩分高めの食生活で健康状態はボロボロ。
陽気に琵琶を奏でたり蓮歌を嗜んだり、あるときは出家を決意して家臣らに猛反対されたり、一貫性がないミステリアな性分もAB型らしいですね。
参考:上杉謙信は超やり手の商売人だった!150万石を築き上げた2つのビジネスとは?