毛利家の危機を救った大活躍!毛利元就
元就の初陣は、20歳の時に経験した武田元繁という人物との間に勃発した戦でした。当時の毛利家は、当主が立て続けに亡くなったことでわずか2歳の幸松丸という人物が家督を継いでおり、極めて不安定な状態にありました。
元就は20歳にして彼の後見人を務めていましたが、この隙をうかがって元繁が仕えていた大内氏を離反。そのまま毛利氏と友好関係にあった吉川氏の有田城へ侵攻していきました。ここで吉川氏と共同戦線をはることを決断した元就は援軍として彼らを救援しに向かいます。
この戦では敵の勢力も自軍より多く、さらに猛将と名高い人物も混じっているという状況で苦戦を強いられましたが、よく家臣を励まして好機を待った元就は間隙を縫って大将であった元繁を弓で討ち取り、敵を撤退に追い込むという大功を挙げました。
元就が安芸武田氏を破ったことで、毛利家が発展していく傍らに武田氏が没落していくことに繋がっていったと伝わっています。この勝利は、元就にとって極めて重要なものとなるのでした。
軟弱な「姫」でないことを証明!長宗我部元親
元親の初陣はかなり遅く、22歳の時に経験した長浜の戦いでした。この戦は父に付き従って参戦したものでしたが、元親は幼少のころから色白で軟弱、さらに大人しかったために「姫若子」と揶揄されていたようです。ちなみに、豆知識ですがここでいう「姫」とは「女の子のように可愛らしい」という意味ではないので要注意。
しかし、彼は初陣でこの評価を一変させることになるのです。もともと敵対していた本山氏という一族が長宗我部方の兵糧を略奪したことによって勃発したこの戦では、敵を全く恐れることなく形勢を逆転させたと伝わっています。とはいえ、元親が戦の直前に「槍の使い方」を家臣に訊ねたという逸話が残されているほどで、戦の前は誰一人彼の活躍を見込んでいなかったかもしれません。
こうして「姫」という下馬評を覆した元親は、直後に父が亡くなったことで家督を継承。四国に「長宗我部王国」を築いていくことになるのです。