ガラシャの”たくましさ”を感じさせるエピソード
ガラシャの”たくましさ”を感じさせるエピソードに、次のような逸話がある。
騒動を起こした家来の一人を斬った忠興は、刀についた血を近くにいたガラシャの着物で拭き取った。ガラシャは血のついた着物を数日ほど身にまとい生活した。
それを見かねた忠興が、「血の着いた着物で平気とは、お前はまるで蛇のような女だな」そう言ってガラシャを馬鹿にすると、「鬼のような夫の妻には蛇のような女がお似合いです」と言い返したそうだ。
本能寺の事件以来、不遇に見舞われながらもキリストを心の支えとして力強く生きたガラシャ。境遇を嘆くことなく壮絶な最後を迎える時まで「美しく散る」という道を選んだ彼女の心意気は勇姿であり、美学と言える。
そして、その勇姿こそが忠興に捧げた愛だったのだろう。
戦国一短気と呼ばれた忠興
画像:細川忠興 肖像画(永青文庫所蔵)
もちろん、この出来事を知った忠興は激怒した。忠興は短気で有名な武将。ガラシャが関わると、とくに短気だった。
信長、秀吉、家康の三天下人から高い評価を受け、細川家を繁栄させた名将だが、武勇だけでなく千利休の弟子になるほど教養も持ち合わせていた。
しかし、短気な性格だけは治らなかった。「戦国一短気な男」と呼ばれるほど激しい気性の持ち主だったという。その性格を物語る逸話がガラシャへの独占欲。
ガラシャに一切の外出を禁じたばかりか、ほかの男がガラシャに接すると短気を起こして問答無用に男を斬り捨てている。
「バテレン追放令」が出された直後にガラシャはキリスト教徒になったが、それを知った忠興は激怒し、次女の鼻をそぎ、洗礼を取りやめるようにガラシャを脅迫した。
また、ガラシャが死んだことを知った忠興は、自分の息子に「縁を切る」と言っている。
その理由は、当日、ガラシャのそばにいた忠興の長男・細川忠隆の妻は生還しており、その行為を知った忠興は「義理の母を見捨てて実家に帰った」と激しく罵倒し、忠隆に離縁を迫ったのである。
ガラシャが関することには度を越えた短気さが表に出る忠興であった。短気な者同士、相性が良かったのだろうか。数奇な運命を背負い、戦国の世に散った勇猛な女性がいたということを覚えておいてほしい。
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