千利休とは?
千利休とは、大永2年(1522年)に生をうけた茶人であり商人。織田信長や豊臣秀吉に仕えていたことでも知られている人物です。(※1521年生まれとの説もあり)
茶道のイメージが強い利休ですが、堺の今市町(現在は堺市堺区宿院町西1丁)にある商家の生まれで、幼名は与四郎です。一時期は「千宗易」と名乗っていました。理由は、南宗寺で禅の修行をつみ宗易の名をさずかったためです。
利休が茶道の世界に入るきっかけとなったのは父親で、長男として家業をつぐため、教養や品位を身につけさせることが目的であったといわれており、16才で茶の道に関わるようになります。
そして18才になると、当時「茶の湯の第一人者」であった武野紹鴎(たけの じょうおう)に師事し、茶と対峙する精神を重んじる「わ(侘)び茶」を会得してゆき、後に「茶聖」と称されその地位を確立します。
そして時がたち、利休が40代半ばを過ぎるころ、茶の湯に執心していた織田信長に見出され、「茶頭(茶の師匠)」として活躍をするようになり、武士たちからも一目置かれる存在となります。
本能寺の変で織田信長が討たれたあとは豊臣秀吉の側近となり、政治的な力をもつようになりますが、やがて秀吉との関係が不穏となり、最後は切腹というかたちで生涯の幕をとじました。